関西から首都圏(神奈川→東京)に引っ越して、なんだかんだそれなりの年月が過ぎ去っていった。
途中に新型(略)というイレギュラーがありつつも、意識的に東京の色んな場所に行き、色んな体験はしてきたつもりだ。
それでもなお、行き尽くせない、経験し尽くせないのが東京というものらしく、本当に恐ろしいところやのう……と改めて感じている。
神奈川・東京に住んでなんだかんだそれなりになってきたので、さすがにあちこちの名所は訪れてきたけれど、それでもまだまだ行き尽くせていないのが凄いなあ
— 倉海葉音@M3のCD通販開始! (@hano888_yaw444) 2022年6月15日
国技館や神宮球場は中入ってないし、高尾山は登ってないし、新しいスポットもどんどんできてやはり行けていない(SHIBUYA SKYとか)
さて、そんな中で、過去の自分(あるいは東京未経験かつ過去の自分に似た誰か)に
「東京でどこに行っておくべきか」
を考えてみると、これはなかなか楽しいなということに気付いた。
とはいっても、普通すぎる所を述べても仕方がない。
東京スカイツリーや渋谷のスクランブル交差点はド定番がすぎるし、東京駅や新宿駅周辺は訪れた際に乗り換え等で必ず通ることになる。
有名ではあるけれど、ほんの少しだけ定番を外した──そんな感じの場所(あるいは体験)をまとめてみたいと思う。
もちろん人によって様々な意見があるだろう。この文章の内容は別に誰かに勧める訳ではなく、単に自分の楽しみとして書いていることにご注意願いたい。
(ちゃんとした東京観光情報が欲しければ、そのブラウザでちょちょいとお調べくださいましませ)
1. 赤坂離宮
東京だとこれは絶対に外せないな、と私は思っている。
豪華。とにかく豪華。その一言に尽きる。
金ぴかの内装。嘆息するほど美しい部屋。超一流の作家による絵画や装飾。
もちろん世界中を見渡せばもっと豪華な場所はあるだろう。それこそ王族の城や宮殿だとか。
ただ、日本で、一般人がこのセレブリティを味わえるのは間違いなくここだけだと思う。「東京のど真ん中によくこんな大きさで建てましたね??」というクラクラした気持ちにもなるかもしれない。
まあ、それは、公共空間(?)なのに入場するだけで千円以上要するという懐的な経験も含めてなのかもしれないが……
(ちなみに内部は撮影禁止)
2. 八王子駅
東京駅からJR中央線に乗り、ひたすら西を目指す。
いや別に新宿駅からでも構わない。
まず、高架からの眺めに「東京はどこまでも街が続く」という気持ちが沸き起こるかもしれない。街が途切れるのは多摩川を渡るほんの僅かな時間のみ。ちなみに目的地の八王子駅から先もまだ少し街は続いている。長え。
そして。辿り着いた八王子駅を見て、「東京は、こんな端の方でも地方中枢都市クラスの街があるのか」と驚く。巨大な駅ビル、都会サイズのビックカメラ、駅前に広がっている繁華街。
これは実際、就活で初めて八王子を訪れたときの私の感想である。
特に「雪が降るのは八王子から」「八王子は山梨」のようなワードをそれまでに見聞きしていると一層驚くことだろう。これをネタにしている東京、何??
ちなみに東京の話なので八王子駅としたけれど、東海道線で神奈川県の藤沢駅、総武線で千葉駅、宇都宮線・高崎線で埼玉県の大宮駅に行っても良いかもしれない。
関東平野の広さ、どこまでも街が続くということの意味、都心から離れたのにまだ都会があるという驚嘆。
3. 品川埠頭
虚無の埋立地というものは日本全国割とよくあるかもしれない。
私の出身の関西でも、大阪や神戸に虚無っぽい場所を思い浮かべることができる。
ここを訪れるのは、休日の昼間、それもできれば夏が望ましい。
倉庫街には人の姿がほとんどない。時々車が通るだけ。日陰のない、うだるような暑さの中、虚無を歩き続ける。
しかしここには恐らく常に人がいる。
「東京出入国管理局」があるのだ。
人の無さと、今まさに起こっているかもしれない何かしらと、朦朧とする頭で歩く。立ち入り禁止の駐車場の向こうにはレインボーブリッジが見える。賑やかな休日のお台場へと繋がる橋。
やがて埠頭の端まで来て、グラウンドで野球する人たちの姿が見えたとき、あるいは埠頭から出て天王洲アイルか港南エリアのマンション街を歩くとき、ようやく人心地つくことだろう。
ここではとにかく「ありのままの高級民族」を見ることができる。
大使館に囲まれた超セレブエリアにある公園。横には全く知らないが絶対高級そうなスーパー。観光地でもないこの一帯を出入りするこの人間たちは、一体何者。
(一応、近くには区の施設や東京都立図書館もあるけれど……)
まあ、六本木ヒルズの下の毛利庭園や、渋谷の松濤、千代田区番町や代官山なんかでも良いのかもしれない。
東京には、一般庶民には想像も憧れも抱かない、高級な方々の日常が当たり前のように存在している。
5. 南大沢
ニュータウンは全国のあちこち、都市圏の近くならばだいたい存在している。
ただ東京のニュータウンはちょっとモノが違う、と思うのが南大沢を歩いているときだ。
駅を出てゼロ分で南欧テイストのアウトレットモール。その奥には東京都立大学の洒落たキャンパスがあり、その周りにはこれまた南欧じみた色合いのマンションが立ち並ぶ。
どれどれどんなマンションが、と見に行くと、あまりの連続っぷりに唖然とし、やがて引き返すことになる。私はまだ全貌を知らない。
ちなみに駅の反対側には巨大なイトーヨーカドーと別の巨大な商業施設。その先にはマンションや戸建てがずらりと並ぶ。こっちにも??どこまで??
そしてこれは「多摩ニュータウン」と呼ばれるエリアのほんの一部でしかないと理解し、その壮大さに首を傾げるのだ。
6. 品川駅(平日朝)
東京の通勤ラッシュの激しさは誰もが知識として持っているし、ニュース映像でも度々見かけることだろう。
平日朝は東京、新宿、渋谷、どこのターミナル駅も人だらけ。いやターミナル駅でなくても人だらけ。本当にこんなに人が住んでいるの?
ただ圧巻さという点では、品川駅中央の通路をおいて他にない……と思っている。特に港南口方面。
だだっ広い通路を埋め尽くす人、人、人。
全員が同じ速度で、無心で、出口へと向かう。
どこまで行っても人波は途切れない。前を見ても後ろを見ても同じ構造が繰り返されている。
何十メートルの長さを、一直線に、波は乱れず動き続ける。
もし余裕があれば、通路の途中、上階にあるスタバから見下ろしてみると楽しいはずである。
一般参賀の際の皇族はこんな気持ちに……ならないだろうな、たぶん違う。
7. 東京大学本郷キャンパス
東京ならではの景色、といえば、ここも忘れてはいけないのかもしれない。
もちろん「日本の最高峰」への興味や、赤門・安田講堂・三四郎池といった有名スポットの観光目的でも良いのだが。
特筆すべきは、戦前の建築が相当な密度で残っていることである。
それも、「内田ゴシック」という同様の形式の建築が。
いやそれだけなら一橋大学や、関西なら京都大学や同志社大学なども良い線をいっているかもしれないが、ここまで「重厚」で統一された大学を、ちょっと日本では私は思いつかない。
歩いていると、まるで空間自体が「賢くあること」「権威たること」を要請しているかのように感じてくる。
正直に言えば内田ゴシック、並びに東大の権威性はあまり得意ではない。
それでも、自重と外圧に一切惑わされず、日本の中枢であり続けているこのキャンパスに、私は尊敬の念を覚えている。
8. そこらの住宅街
朝、自分の部屋で目覚める。ゴミ出しだか早めの出勤だかで外に出る。登校する子供たちの姿がある。いくらでも存在する。
保育園の側を通る。わーきゃー叫び声。いつもいつでも賑わっている。
夕方、家の前で、あるいは近くの公園でいくつものグループの子供たちが遊び回っている。
東京にいると、少子化?何それ本当?という気持ちになる。
恐らくもう、地方の多くの場所では失われつつある光景だろう。
子供の減少が原因か、あるいは東京の人口密度の高さが原因か。
東京は常に新陳代謝と共にある。人、物、店、人、…………。
ここで生まれ育つ子供たちは、どのような目で、東京という世界を見つめるのだろう。
東京に住み始めてから、しばしば、そんなことを考える。
──多分に(余分に)感傷を含ませつつ、様々な「東京」を挙げてみた。
何度も言う通り、これはあくまでも個人的な好みや趣向や経験をベースとして書いている文章である。
そう、ここは人によって見え方が全く異なる街。
1400万人と、通勤で訪れる隣県の人々と、ビジネスや観光で訪れる無数の人々と。
同じ自分でも、住む路地1つ、生きる時代1つ、行う体験1つ違えば、また別の「自分が自分に勧めたい東京」が出てくることだろう。
東京は、1つの人生で味わい尽くすには、あまりにも広く濃く短く、深い。
しかし、ここで挙げてきた景色が、私の東京観を醸成してきたこともまた、疑いようのない事実なのだと思う。
東京をただ遠い場所としていた過去の私にも、見せてみたい「リアルな東京」の景色なのだと思う。