ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

気持ちのチューニング

どうしようもない気分のときに、自分の心をチューニングしてくれる音楽がある。

 

Dave Brubeck「Alice in Wonderland

Bill Evans「Waltz for Debby」

の二曲だ。

 

どちらもジャズの名曲・名盤。

ぱっと分からなくとも、聴いたら「ああ…!」となる方はいらっしゃるかもしれない。

 他の音楽は、どんなに好きな曲でも、聴く気分になれないときがある。

だけどこの二曲は、本当にどんな気分でも通用する。そして少し、気が楽になる。

 

なんとなくジャズに明るい人間であるかのように見えるかもしれないが、そこまで詳しくはない。ジャズ研上がりの友人の話が3割くらいしか分からない程度には詳しくはない。

所詮は吹奏楽部出身、なんとか自力で良さそうな曲を探し当てて、普段はわずかな曲数をループしているだけだ。

 

ところで、なんでこの二曲なのか。

 たぶん、どちらも幼少期の姿を映した音楽だからかな、と思っている。

 

前者は「不思議の国のアリス」、ディズニー映画版の主題歌が原曲だ。

解説するまでもないほど有名な、少女が主人公のお話。

 

後者は、Bill EvansがDebbyという姪のために捧げた曲。こちらも子供をイメージした音楽。

 

別に時計ウサギを追った過去もないし、叔父さんに曲を作ってもらったなんて経験がある訳もないが、旋律を聴いているとどこか懐かしい気持ちになる。

 

また、どちらも静かなメインテーマの3拍子→アドリブ回しの4拍子という構成。

メインテーマは穏やかに子供の主人公を包み込むような音楽。4拍子の部分は、どこかやんちゃさが滲み出た音楽。

聴いているだけで、世界に温かく祝福されているような、優しい気持ちになってくる。

 

 

人生の目標はなんですか?

何のために働いているんですか?

なんでこんな疲れる生き方をしているんですか?

 

色んな自問自答で体が縮こまったとき、凝り固まったとき。

ゆるりとほぐしてくれる、そんな音楽だと思う。

子供の頃の、親に包んでもらって優しい感触や、将来なんか考えないで毎日楽しく遊んでいた無邪気な日々や。

そうした深層記憶、あるいはその名残が、じんわりと体中に拡散していく。

 

 

今日もまた、その二曲を聴いてから、この文章を書き始めた。

おかげで良い夢が見られそうだ。

静かなピアノの音に包まれながら、おやすみなさい。

 

 

サンバサンバ

♪ 叩けボンゴ 響けサンバ

 

これはご存知日本最強のサンバ、「マツケンサンバ2」の冒頭である。

ところが、ボンゴはサンバでは使わない。同じラテン音楽でも、キューバ系の音楽だ。

サンバで使う太鼓はスルドやタンボリン(notタンバリン)など。

 

というのは、さすがに作詞者は分かっていたらしい。語呂を優先したとかだったと思う。

 

 

あともう一つ、数年前のゲームの話。

ドンキーコンガ」というリズムゲームだ。

https://www.nintendo.co.jp/ngc/gkgj/contents02/index.html

 

操作は単純。付属の「タルコンガ」という特殊なコントローラーを、画面に合わせて叩くだけというものだ。要するに太鼓のた

 

実は、この「タルコンガ」が「ボンゴ」なのである。

 

 

はい、ますます訳が分からなくなった。

 

何が言いたいかと言うと、

ラテン音楽の打楽器覚えにくすぎ問題

 

というか、

ラテン音楽未だに覚えきれない問題

 

というかさっきまでコンガはサンバで使うと思い込んでいたよ

危ねえ調べて良かった。

打楽器奏者ならちゃんと区別できているのかもしれないが、本当に、本当にややこしい。

 

一般にラテン音楽と一括りにされるが、自分がパッと思いつくだけでも、

サンバ、ボサノヴァ、マンボ、サルサ、ルンバ、チャチャチャ

各々なんとなくのイメージはあるけれど、全く正確に説明できる気がしない。使う打楽器だとか、どこの国発祥だとかになると、もはやさっぱりだ。

 

 

ところで、最近放送されている「ポプテピピック」という不条理アニメで、いつだかこんなセリフがあった。

「何気ないマンボが サンバ師匠を傷つけた」

 

元が相当不条理なアニメなので、ただの不条理ネタか……と思いきや、実はマンボとサンバが違う音楽だという前提があったのだ。

サンバのプロであるサンバ師匠は、同じラテン音楽というジャンルのマンボと混同されて悲しんだのだ。

ベンツを乗り回している人が「カッコいいね〜このトヨタ」と言われるようなものであろう(適切なのかこの例え?)。

 

 

吹奏楽ではポップスの演奏機会が多いのだが、ラテン音楽を演奏する機会もかなりある。

だから吹奏楽をやっている者として、この区別ができていなければ打楽器奏者を悲しませるかもしれない。

 

 

いや悲しみはしないような気もするが。

せっかくなので覚えられればなあと思う。

 

 

ともあれ、もしあなたが吹奏楽をやっている方なら、次にラテン音楽を聴くor演奏するタイミングで、使っている打楽器に注意しても面白いかもしれない。

特にサンバ以外のジャンルを演奏する機会はやや少ないと思うので、そのチャンスがあればぜひ。珍しい楽器を使っていたりするかもしれません。

 

 

……というか覚えないと楽器運搬のとき(どれ???)ってなること必至なので、ぜひ……

数式って面倒

Microsoft Wordをご存知だろうか。

 

 

知らない人はこんなブログまで行き着くのも困難だろう。分かっている。

 

では、Wordに「数式モード」という機能があるのをご存知だろうか。

これは意外と知られていないかもしれない。

というか、ほとんどの人は人生で使う機会がないですよねこれ。

一応デフォルト機能なんです……。

 

 

そう言うからには一応使用経験があって、どころか一時期は諸事情によりヘビーユーザーと化していて。もちろん用途は文章中に数式を入れるためだ。あ、一応理系です。

これがまあ、なんというか、使いづらい。

細かい諸々が、めっちゃくちゃ使いづらい。

 

 

英字が勝手に斜体になる。

()のサイズ調整が上手くいかず(T)みたいになる。

そして何より重 た  い

 

 

数式を扱う理系の方ならLaTeXというものもご存知だろう。

あちらはプログラム言語みたいに記法を覚える必要があり、しかもなかなか融通が効かないのは同じ。しかし、色んなエディタがあって便利な補助機能が使えたりするので、まだ救いようがある。

 

こちらは、WordなどのMicrosoft Officeでしか編集しようもないのだ。

特に、やたらと重たいのには本当にイライラさせられる。そして数式が増えるとファイルごと重たくなってイライラの連鎖反応を引き起こす。

 

実はLaTeXのように暗号チックな書き方をすることもできるのだが、もうそれをするならハナからLaTeXを入れるっての

この使いづらいWordの機能で私は卒論の時期に苦しめられた(最初は数式が少ない予定だった&なぜか代々Word書式で提出していたため)

 

 

さっき、仕事で久々にこの機能を使う羽目になった。

当初は全くそんな予定は無かったのだが、解説文を入れるところでどうしても必要となり。たった一つの数式のためにLaTeX用の環境を準備するのも面倒だ。仕方ないなあ。まあちょっとだけだしいいかあ。

 

斜体になる

(X Y Z)

重  た    い 

 

なんで20時過ぎの会社でこんなことに苛立たせられなければならないのか……。

あの卒論時期の「無我の境地」を必死に思い出そうとしつつ、一つ一つ文字を打ち込んでいったのだった。とほほ。

 

 

……あ、ここの変数間違えてる。

 

斜体になる
(X Y Z)
重   た    い

ある夏の後悔と

今日、スーパーに行った。いつぶりだろうか。

とは言っても別に「日常的にスーパーに行かなくても執事とメイドが全てを用意してくれるスペシャルセレブだから」という訳ではない。単に一人暮らしの怠慢ゆえだ。

 

適当に日用品を物色していると、男の子が横を走っていく。なんだなんだ、と思っていたら、その先には彼の母親がいた。

男の子の手にはアンパンマンのお菓子が握られていて、ああ、おねだりか、と母親にたしなめられる様子を見ながら微笑ましく思った。

 

こういう光景を見ると、思い出す記憶がある。

昔、グアムに連れていってもらったときのことだ。

 

……もう一度言うが、セレブではない。

自分が小学生になったくらいの頃だ。まだお子ちゃま料金で済んでいたのだろう。

 

肝心の記憶だが、別に大した話でもなく。

どこかのおもちゃ屋だった。確かオレンジ色のレゴブロックの車を見つけて、買ってもらうか迷っていたのに、親から「何か欲しい物ある?」と聞かれて、なぜか首を横に振った。

そのまま店を出て車に乗った後、猛烈に後悔した、と、ただそれだけだ。

 

 

首を振った理由は正直覚えていなくて、たぶん急いでいたとかでもないはずだし、単に遠慮がちな子だったからだと思う。自分からこれが欲しい、というのが少し苦手な子供だった。

それより、こんな些細なことを未だに、それも割とはっきり覚えていることの方が興味深い。

 

小学3年生くらいまではレゴブロックが好きだったような記憶がある。だけど、別にそのレゴが無いからと言って、その後のレゴライフに影を落とした訳でもない。むしろ普段はグアムでの一件なんて全く思い出すこともなかった。

 

というより、グアム旅行の記憶がほとんど残っていない。

実はその一年前、ハワイに行っていて、記憶がめちゃくちゃ混同しているのだ。

 

 

……セレブではない!!

ハワイは祖母もいたから出資が別口だったんだ、たぶん!!(いや本当に中流家庭です……)

 

 

何はともあれ、それでもレゴのことを鮮明に覚えているのは、

やはり「これは二度と手に入らないものなんだ」と強く思ったからだろう。

はっきりと覚えているのだ、親の運転する車の後部座席で、店の方を振り返りながら、そう思ったことを。

幼いながらに、海外というものをちゃんと認識していたらしい。日本からの距離感や、この場にいる時間の貴重さを。

 

 

グアム以降、大学時代に韓国に旅行するまで、長らく日本を出ることはなかった。

旅行は好きだが、国内旅行で満足していたし、海外にそこまで興味が無かったからだ。

 

それがどういう因果か、この半年で3回も海外旅行へ行っている。

ところで、自分は旅になると基本的に無茶苦茶なスケジュールを立てる。

15km徒歩はザラ。酷い時には本来必要ない登山を決行してまで、目的の場所に行こうとする。先日は東南アジアの炎天下を30km/日歩いたりもした。旅行初日なのに。

 

ちなみに近々、また日本出国を企てている。貴重な休日を費やしてまで。貴重な一人暮らしの貯蓄を崩してまで。貴重な体力を消耗してまで。

体が元気なうちにとか、自由に時間を使えるうちにとか、周りの人にはそれっぽく理由を言っていた。まあそれも間違いではないけれど。

本当は、あの子供の頃に味わった後悔が、原風景として刻まれているからかもしれない。

 

二度と手に入らなくなる前に、今手に入れたい物を、自分の手で掴みに行くため。

どうしても見てみたい風景を求めて、また自分は日本を飛び出す。

20年後の自分に、後悔を残さないため。

知らない場所

暇になると、ごく稀に「国名いくつ言えるか」大会を1人で開催することがある。

 

例えば病院の待ち時間。例えば長距離バスの中。例えば学生時代の退屈な授業中。

 

初めてこのゲームを思いついたのは、今でも覚えている、中学3年生の春休みだ。

友人たちとテーマパークに行ったときのこと。確か当時完成直後だったからだろう、待ち時間が3時間というえげつないアトラクションに並んでしまった。

友人たちがダルそうにしたり、携帯を弄っている横で、自分は黙々と国名を数え始めた。

中学3年生の春休みということは、高校受験の直後。当時社会科は得意科目だったから、当然国名もそれなりに覚えていた。

 

このときの記録は、150カ国くらいだったと思う。

国連加盟国縛りだったから、約3/4。結構頑張ったな中学3年生。あと友達は大事にしろよ。

 

 

それから10年近く経ち、就職して、暇な研修を受けているときにふとこのゲームを思いだした。

中学時代の栄光を回顧しつつ、密かに指を折って数え始めた。

 

130前後でストップした。

これは、ちょっとした挑戦心を駆り立てた。

 

それから、研修で暇な時間ができる度に数え、思い出せなかった国は家に帰ってから調べ、また数え、調べ、を繰り返した。

中でもアフリカが鬼門だった。なんと50カ国以上もあるのだ。絶対おかしいと思う。普通に日本で生活していたら一生のうちで10カ国くらいしか聞かないと思う。普通に生活していない自分でも、当初は30も言えなかった。

残りの20くらいを中米の島辺りに分散させても、たぶんほとんどの日本人は気付か…失礼しました何でもないです。

 

 

そして3週間が経った頃。

ついに、全国連加盟国を暗記することに成功した。

 

これは自分の中で、ちょっとした自信となった。

頑張れば案外覚えられるんだな、と。

そして、世界に自分の知らない国は無い、という事実。

この事実に気がついたとき、痺れるような思いだった。世界に知らない場所なんてもはやないのだ。

ただ研修は、全く頭に入らなかったけれど。

 

 

この前、久しぶりにこのゲームをやってみた。

140までは普通に行けたけど、そこからが苦戦、結局155くらいが限界だった。

 

中学3年生に逆戻りだ。

それは、中学3年生のときと、同じだけ頭の容量が空いているということかもしれない。

 

中学3年生の春ーーあの頃の自分は、直後に進学した高校で、いくらでも新しい知識を吸収することができた。

さあ、今の自分は、これからどんな知識を頭にインプットしていこうか。

稼いだお金で世界のどこへでも行けるようになった、大人の自分は。

運命にくらくら

運命の出会いなんて、人生そうそうないけれど。

音楽の世界では、案外ままある、ような気がする。

 

初めて彼女の音楽に出会ったのは、大阪梅田のタワーレコード。確か3年前のちょうどこの時期だった。

そこの店に行くのは本当に久しぶりで、しかもそれ以降、当面の間梅田方面を訪れる予定は無かったから、偶然も偶然だ。

 

試聴コーナーにCDが置かれていた。期待の新星、というような触れ込みだったかと思う。

2曲目は「坂本龍一が絶賛した」とも、ポップには書かれていた記憶がある。

 

どれどれ、と坂本龍一を信じて、私はヘッドフォンを装着した。

CD選択、トラック選択、読み込みまでの待ち時間。

 

それらを経て流れてきたのは、透き通るようなピアノの前奏だった。

そして歌が始まった瞬間。私はこのCDを買うことを決断していた。

 

辻林美穂「CLARTE」

www.billboard-japan.com

 

坂本龍一が賛辞を送ったという、2曲目「あぶく」は、紛れもなく名曲だった。

弦楽器とピアノ主体の伴奏が作る世界は、まるで透き通る湖畔。その上を6/8系のリズムで散歩するボーカルの、声質の幻想感。そして、どこか恐ろしさすら感じる不思議な歌詞。

だがこの曲だけではない。ノリのいいロック、気の抜けたポップス、夏の名残りを歌った音楽。その多彩さに驚かされた。

春夏秋冬、何度も何度も再生して、聴く度に別の良さに気付く。そんな幸せな出会いに、感謝感謝である。

 

さて、せっかくなので、「あぶく」の試聴音源のリンクを貼っておく。

きっと、その世界観に新鮮味を覚えるはずだ。

https://www.soundcloud.com/tsvaci/712ncijnbh2x

 

 

と、こんなことを突然思い出したのは、さっき辻林美穂さんの新曲を聴いたからだ。

新曲と言っても昨年末に公開されていたそうで……散々大ファン面してすみません久しぶりに検索しましたすみません運命とか言ってすみません

 

その中で、「紡いでゆくこと」の歌詞に不覚にもぐっときたので、ご紹介させていただく。

こういう、何かの転機を描いた作品に弱いんだよねえ。最高なんだよね…………

きっと、彼女がこの曲を送った相手は、運命の出会いを果たした人だったのかな、なんて。

https://www.soundcloud.com/tsvaci/81qe2jz3xhf8

 

……まあ実は音楽的には、「夢のデリシャスカロリー帝国」の方がビビっときた訳だが()

あえて載せないので是非自分の耳でお聴きいただきたい。

一流

「あなたは既に一流のガーシュウィンだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」

このエピソードは、20世紀アメリカの生んだ偉大な作曲家・ガーシュウィンが、これまたフランス音楽の大家・ラヴェルに教えを請いにいった際のものとして有名だ。

その後、結局ガーシュウィンは彼に弟子入りすることはなく、「サマータイム」などの名曲を生み出し続けた。

 

一流が一流と出会うとき、そこには必ずストーリーが生まれる。

まだ人生に時間の余裕があった頃、NHKの「スイッチインタビュー 達人達」という番組が好きだった。

全く違う分野で生きる、性格も価値観も異なる2つの一流。しかし彼ら彼女らは共鳴する。まるで必然であるかのように毎回名言が生まれる。それが互いの魂をまた揺さぶる。

そこで私たちは気付く。一流は一流としか生きられないと。一流であることでしか、生きられないと。

 

話は変わって。

昨今、博士課程の学生が、お金の工面で苦労するニュースをよく耳にする。私の知人の博士課程の方たちも、それぞれに苦労して補助金を勝ち取っているようだ。

しかし例え当座のお金やポストを得たところで、次には非正規雇用の問題、さらに教授になったら多大な事務仕事、とどこまで行っても問題が山積している。

小学校の義務教育から連綿と続く、学術の道の最高峰がそれって……と、私はつい表情を曇らせてしまう。

 

 

私たち日本人は、一流たちの悲劇が大好きだ。

坂本龍馬西郷隆盛源義経、etc.

大久保利通好きな方なんて滅多にお目にかからないし、源頼朝に至っては肖像画まで別人だった。

 

しかし、一流を封殺するような国や制度が長続きした試しはない。

江戸幕府は案の定戊辰戦争に敗れ、鎌倉幕府は北条氏に乗っ取られた。明治政府は西南戦争の勝利で安定したのでは?とも言えるが、その後の自由民権運動の高まりを受けて、結局政治の路線を変更した。

 

今の状況が続くようだと……

もう何が言いたいかは伝わると思う。

 

せめて、二流のーーあるいは二流未満のーーラヴェルである我々は、一流を邪魔しないように、一流同士で生きられるような社会を維持してあげないといけない。

それが我々にとっても長期的な豊かさに繋がるということを、忘れないようにしておきたい。