ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

課題曲2018ざっと聴き

日本の吹奏楽の一大イベントといえば、夏から始まる全日本吹奏楽コンクール

毎年、冬のうちに5曲の課題曲の音源が提示されるけれど、ようやく参考音源を聴くことが出来ました。

1〜2回聴いただけの雑感です。有益な情報はさほどないです。すいませんの

 

1. 古き森の戦記

タイトルからもっとRPG的キャッチーな曲かと思ったけれど、なかなか面白い。80年代の古い課題曲を思い起こす。

技巧的に特殊なものはなく、中学生でもギリギリ演奏できる難易度(音は高いけど…!)。ただ思っていたより艶が大事な音楽。音程的にも誤魔化しにくい部分が多数。そして何よりソロ・ソリ的音楽が多い。これやっぱり大人の方がいいなあ。勢い任せだとかえって印象に残らないかも。

それにしても……オーケストレーションが見事。あんまり近年聴かない系な気がする。

 

2.マーチ・ワンダフル・ヴォヤージュ

冒頭のリズム崩したところの意味、とは

よくありがちだけど、なんかメロディーが覚えにくい。とはいえ別に覚えやすいメロディーにしないといけない決まりでもないしまあいいか。

トリオは割とレンジが上に行っていて珍しい。その分聴いててやや疲れる…のをなんとかできるかが鍵?この曲全体的に音域・音色近い所に違う動きが固まってて意外と気を使いそう。

ところでなんかコチコチした音なのは演奏音源の問題?

 

3.吹奏楽のための「ワルツ」

作曲者名を見てもっとエグい感じの、無調のワルツかと(絶対人気出ねえ)

まさにオーソドックスなロマン派のワルツ。所々高昌帥氏らしさが滲み出ているのが良い。この人のサックスの溶かし方って甘い曲によく合うんだよねえ。

そしてアゴーギクたっぷりなのもある意味期待通り。こういう音楽をさらっと奏でられるのが本当の基礎力だよなあ(自分は無理)。

いやーこれは全国大会、それも一般社会人の演奏を聴きたい。オケアレはそこまで好きではないけれど、これの後にカヴァレリアとかオペレッタの音楽とかさらりとやったらカッコいい!

 

4.コンサートマーチ「虹色の未来へ」

作曲者名を見てポップスマーチかと(思い込みその2)

ウィンズスコアの音だあ…という感じ。ウィンズスコアの曲を東京佼成が吹いたらこんな音なのかなあと全然本筋じゃないことを考えていた

どんな曲になるか戦々恐々していたけれど、思ったより悪くない。ちょっとリード系の木管が響かせにくそうな気もするけれど、実際に音を出したらどうですかね。

「例年のマーチ」を求めるならこの曲でしょうかね。というか今年、無難に仕上げられるのはこの曲くらいでは。

 

5.エレシウスの祭儀

ああ課題曲5だあ(冒頭)

タイトルを見ずに再生を始めたので、打楽器の使い方を聴いて「祭り的な音楽なのかな?」と思ったら合ってた(謎アピール)

前半は自然の中の荘厳な儀礼、後半が神に捧げる舞踊という感じかな?バリトンサックスからの流れが最高of最高。ダンサブルですねえ。難しい系の課題曲でノリノリって久しぶりじゃないですかね?「夏」以来では?4+3+3の10拍子(5拍子?)なんて踊れって言ってるようなものですよ

 

一通り聴いて、気付けば課題曲5の2:50くらいに合わせている自分がいた。チェックのためにもう一度聴いて、気付けば課題曲5を選択している自分がいる。2:50くらいに合わせていr

ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ

祝祭は遠くに

「彼方の祝祭」という、吹奏楽のための曲がある。

(試聴)

https://www.amazon.co.jp/dp/B003Y1ZEEE/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_j2bLAbK1A7EVE

 

聴いた後しばらく経つと、どんな曲だったかはっきりと思い出せなくなっている。

ただ、凄いものを聴いた感触だけが残る。美しく、冷笑的で、砕けるガラス片のような煌めきで。

その遠鳴りを辿って、時々、無性に聴きたくなる。

 

分かりやすい曲ではない。冒頭こそ哀しげなメロディーが流れるものの、段々旋律の輪郭が不明瞭に、あるいは複数の旋律がぶつかり、気付けば次の場面へと移る。

作曲者の語る通り、どこかシニカルで、何かへの疲弊を歌った音楽。キャッチーさは、微塵もない。

 

かくいう自分も所詮はアマチュア、この曲の音楽的価値を正しくは理解出来ていないだろう。

ではなぜ、惹きつけられてしまうのか。

 

無機質なネット空間、24時間誰かが働き、誰かが発信し続ける世界。その先にある有機質な部分は掴み難くて、なのに延々と続く祝祭のような騒ぎだけが目の前を流れていく。

あるいはハイスピード化する世の中。あるいは電子制御下の戦争。あるいはそんな世界に取り残された、一つの生身の体。

 

そういうことをふと考える瞬間、この曲のタイトルを思い出す。

ああ、今、祝祭は彼方にあるのだ。

 

遠くに神輿が見える。絶対に手の届かない所で、かつがれ、運ばれていく。掛け声が聞こえる、歓声が聞こえる、カメラの音が聞こえる。

 

そういったものに触れてしまったとき、祝祭を皮肉に思い、祝祭を眺める自分を皮肉に思う。溜め息をつくか迷ってしまう。

そんなとき、この曲は、正しく溜め息をつくために、寄り添ってくれるのだ。

 

溜め息をついて、3日後には、またほとんど全て忘れてしまう。だけど、実はそれこそが正しい形なのかもしれない。

3日も経つと、あるときには、祝祭の中に自分も入ってしまうから。またあるときには、祝祭そのものを忘れてしまうから。

 

そして、いずれの場合にしても、だ。

ずっと、遥かな祝祭を見せ続けられることほど、辛いものはないから。

基本的コロッ権

先ほど、スーパーへ買い物に行ったとき、お惣菜売り場でこんなものを見かけた。

 

きんぴらごぼう風コロッケ」

 

「きんぴらの味が恋しい人はきんぴらごぼうを買うのではないだろうか」

「コロッケを食べたい方はノーマルコロッケで何一つ問題ないのでは」

「そもそもこれはきんぴらごぼう派閥とコロッケニストどちらが対象なのか」

「からあげ」

 

など様々な感想が浮かんでは消えていったが、最後に残ったのは、

「コロッケがかわいそう」

というなんとも純粋な哀れみの感情だった。

 

 

「じゃがいもと一緒に衣に包んでしまえばコロッケ――」

それは、いつの頃か、資本主義社会が産んでしまった一種のエゴではないだろうか。

 

確かに、かぼちゃコロッケなどは美味しい。だからコロッケに可能性を感じることそのものは認める。

しかしその包容力に甘えて、我々は、コロッケに重責を担わせてしまっているのかもしれない。

きんぴらごぼうと混ぜられてしまったことで、彼らは泣いているかもしれない。コロッケとして生まれてきたはずなのに、あっという間に異形の姿に作り変えられ、さらには同じ棚に並ぶオーソドックスなコロッケを恨めしく見つめる、そんな日々を送るのである。

 

我々は、コロッケの尊厳について考えたことがあるだろうか。

コロッケにだって、基本的コロッ権はあるのだ。

 

それを踏みにじったとき、例えば今回のケースだと、きんぴらとコロッケの内部紛争という悲しい出来事だって起こりうる。その可能性が否定できないことは20世紀後半の世界の歴史を見るだけでも明らかだろう。同じ場所に住む異民族どうしは、抑圧の中で衝突してしまうのである。

あるいは、彼らの反乱すら起こるかもしれない。クーデター、暫定政府、特攻。彼らが身を挺してアツアツの中身を吹き出したとき、我々の肌などはひとたまりもない。

 

だから、そろそろやめにしないか。

本当にコロッケのことを考えるなら、かぼちゃ等の親和性のある同盟国とだけセットにさせてあげるべきだ。

それが、宗主としての我々人類の役目である。

 

 

――そして私は、今日も10%引きの唐揚げを手に取りレジに向かう。

 

休日の朝はハダカの準備

最近、週末になる度にインドネシアのバンドの曲を聴いている。

 

インドネシアの音楽」と聞いて、そもそもイメージが湧く人なんて、まずもってかなり、かなり少ないと思う。

少し音楽に詳しい方なら「ガムラン」という民俗音楽にピンとくるかと思う。自分は生では聴いたことが無いけれど、浜松の「楽器博物館」の展示で耳にしたことがある。南国的な打楽器に、アジア系の赤い色彩と、金属打楽器の不思議な音色が印象に残っている。

※楽器博物館公式サイト

浜松市楽器博物館

 

でも、自分が今聞いてるのはそういう音楽ではない。現代のポップな音楽だ。

Mondo Gascaro "Rajakelana"

www.youtube.com

 

どうだろうか。どこかシティーポップ風であり、ラテン音楽的であり、だけどどこかが決定的に違う。独特のリズム感と、ゆるやかに延々と続いていくフレーズ。

特に、一曲目の"Naked"が好きだ。これは個人の意見だが、どことなく「インドネシア版・北の国から」といった印象だ(柔らかなトランペット系の音が目立つから、というだけかもしれない)。

それはともかく、この曲を聴いていると無条件に南国の青空とビーチが脳裏に浮かぶ。揺れるヤシの葉の舌を、両手を広げてゆったりと散歩する情景が。

サンダルに砂が入り込む。波のゆるやかな往来の音が聞こえる。空に薄く白雲が流れている。日本じゃ目にしないような美しい色の鳥が飛んでいく。

耳が、心が、自分自身が、何かから開放されていく。南国の景色と一つになり、裸の自分は何者でもなくなっていく。

 

平日、日常にがんじがらめにされ、寒風に身を縮めている。休日が訪れた瞬間、せめてきゅうっとなった心だけでも解き放たれていいはずだ。

休日は、裸の自分を受け入れて、確認するためのものだと思う。ギターを弾くのが好き、友達と遊ぶのが好き、山に登るのが好き、ひたすら動画を観るのが好き、……人それぞれだと思う。それでいい。それがいい。

だから、そんな「自分の好き」を確認できないほど疲弊しているとき――異国情緒溢れるカクテルを飲んだり、旅番組をぼんやり眺めたり、インドネシアの音楽に耳を傾けたり。裸の自分を確認するためのゆるやかな導入をしてみる。平日に張り付いた余分な皮が一枚ずつぺり、ぺりと剥がれて、気付けば、「○○がしたい」という純粋な上澄みだけがすくい取れるようになる。

 

その後は、思い切り伸びでもして、朝ごはんでも始めよう。

大丈夫。ゆっくり始めても。ハダカの自分は逃げたりしないから。

 

 

(補足)

Mondo Gascaroさんについて、実は自分の大好きなバンド、Lamp 染谷太陽さんがTwitterでご紹介されていたのが知ったきっかけだった。

Lampというバンドについても、いつか書いてみようかな、と思っている。字数がすごいことになりそうだけど。

ヒヤリハットの向こう側

今、こんなエッセイを読んでいる。

www.chikumashobo.co.jp

 

とても面白いのでまた読了後に改めて触れたいところだけど、とにかく唖然として爆笑。

 

そして、読んでいる途中にふと思い出した話。

本当になんで思い出したのかわからないけれど、0.1%以下の確率で遭遇しそうな些細な出来事が、この作者の体験談の数々と共鳴したのかもしれない。なんて。

 

 

社会人になりたての頃。何かの研修――恐らく安全についての教育――で、4人1組のグループワークがあった。

どういう内容だったかは全く覚えていないけれど、話の流れで「過去の事故った体験」を話すことになった。

……いや、安全教育ですらなく、ただのプレゼンについての教育だったような気もしてきたけれど、まあいいか。

 

そこで目の前にいた男が、まずこんな体験を語った。

「俺、自転車で崖から落ちたことがあるんですよ」

 

 

いや、ちょっと待った。

 

 

まず(峠越えが趣味でもない限り)自転車で崖の上にいる状況が極めて稀だし、落ちるほどの猛スピードで下ることもなかなか無い。そして見た目に後遺症のようなものは全く見受けられない。どういうことだ。

 

いわく、家の近くの高台になっているところがある。そこのカーブを曲がりきれずにガードレールに衝突。そのまま自転車ごと道の外へ投げ出された。

しかし、運の良いことに、木に引っかかったりして助かったそうだ。自転車は破損したものの、やれやれ、という感じで押して上まで登ってきたらしい。

 

 

そんな壮絶な経験を笑って話せる彼の人柄と、運の強さが非常に羨ましい。そして初っ端からそんな話はやめていただきたい後のハードルが上がる。

 

まあ他の2人もこのレベルの話は

「ああ、自分は自転車で車に引かれたことありますね」

 

 

おいおいおい

 

 

隣で何食わぬ顔して座っていた男も、そんな経験を持っていたとは……。

その先はありふれた事故談ではあったが、自転車事故者が2人も同じ場を共有しているとはなかなか珍しい。

それとも自分が知らないだけで、日本の若者の間では今自転車事故がブームなのだろうか?なにせ日本は広い。知らなくても仕方がない。

 

 

そんなブームに乗り遅れたのが自分と斜向かいの男だ。いやーみんな凄い、と笑っていたら、斜向かいの男がおもむろに口を開いた。

 

 

「僕、昔そういえば海岸で転んでモリを手に刺したことがあります」

 

 

…………モリ?

あの魚を捕る道具の?

 

 

「いや、なんで落ちてるの」

「知らないけど、、ゴミの多い海岸だったから」

 

 

ゴミが多いのかー、じゃあ仕方ないなー、

ってならないならないならない

 

 

彼が言うには、偶然転んで偶然手をつこうとした場所に偶然モリがあって、ということらしい。

何分の一の確率を、彼はその手に引き寄せてしまったのだろう。ブラックホールなのか、その手は確率論のブラックホールなのか。

そして幸いにも、手はそれほどの期間を要さず完治したそうだ。それもまたどんな豪運だ。

 

 

こんな話を聞かされた後の自分が何を語ったのかなんて、全く覚えているはずもない。

この席に居合わせてしまった事自体が、もはや語るべきインシデントだ。

 

 

 

生きていると色んな経験もするし、色んな経験も聞くんだなあ、と思った一コマ。

ハインリヒの法則でいえば、全員間違いなく確実に、ピラミッドの頂点「1」に当たる出来事だ。

いや、それとも後遺症なく助かってはいるのだから一応「29」なのか?ここまで来るとインフレすぎてもう自分にはわからない。ヒヤリハットの向こう側。

 

 

そう言えば、冒頭の本に出会ったのも、偶然だったことを追記しておく。

東京・池袋「梟書茶房」

www.doutor.co.jp

 

全ての本の表紙とタイトルが隠され、紹介文だけで選ぶ素敵なお店。

ぜひ、興味のある方は足を運んで、偶然と出会っていただきたい。それは非常に稀な、そして思いがけない良い出会いになるかもしれない。

 

 

……間違えても、道中でヒヤリハット的0.1%と遭遇しないよう祈っておきます。

このブログについて

こんにちは、葉音と申します。

読みは「はのん」または「よういん」、ピアノ教本の「ハノン」と"yawing"という英単語から名付けました。

音を奏でながら、ゆらゆらと葉のように漂いたい、という辺りの意味合いを込めています。

 

このブログの主なジャンル予定

・旅行...国内も海外も

・小説...書く方、読む方両方?

・音楽...作曲、アレンジ

・その他雑多なこと

 

他サイトでの活動について

・エブリスタ

小説書いております。

恋愛もの、青春もの、時々頭のネジが飛んだコメディが中心

https://t.co/Spj9i7yTTt

 

・MQube (180605追記)

作曲しております。アレンジもするよ。

管楽器の曲が中心。気が向いたらネタ曲も……?

mqube.net

 

・4travel (180605追記)

旅行記投稿します。

自称・一人旅の鬼。結構記事も溜まってきました。

こちらのブログとも上手く統合させられたらいいなあ。

4travel.jp

 

・インスタグラム

マイペースに街や旅行の写真を上げています。1日1枚、3日で3枚。

t.co

 

Twitter

未だに使い方模索中。たぶん諸々の告知アカウント。

twitter.com