ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

数式って面倒

Microsoft Wordをご存知だろうか。

 

 

知らない人はこんなブログまで行き着くのも困難だろう。分かっている。

 

では、Wordに「数式モード」という機能があるのをご存知だろうか。

これは意外と知られていないかもしれない。

というか、ほとんどの人は人生で使う機会がないですよねこれ。

一応デフォルト機能なんです……。

 

 

そう言うからには一応使用経験があって、どころか一時期は諸事情によりヘビーユーザーと化していて。もちろん用途は文章中に数式を入れるためだ。あ、一応理系です。

これがまあ、なんというか、使いづらい。

細かい諸々が、めっちゃくちゃ使いづらい。

 

 

英字が勝手に斜体になる。

()のサイズ調整が上手くいかず(T)みたいになる。

そして何より重 た  い

 

 

数式を扱う理系の方ならLaTeXというものもご存知だろう。

あちらはプログラム言語みたいに記法を覚える必要があり、しかもなかなか融通が効かないのは同じ。しかし、色んなエディタがあって便利な補助機能が使えたりするので、まだ救いようがある。

 

こちらは、WordなどのMicrosoft Officeでしか編集しようもないのだ。

特に、やたらと重たいのには本当にイライラさせられる。そして数式が増えるとファイルごと重たくなってイライラの連鎖反応を引き起こす。

 

実はLaTeXのように暗号チックな書き方をすることもできるのだが、もうそれをするならハナからLaTeXを入れるっての

この使いづらいWordの機能で私は卒論の時期に苦しめられた(最初は数式が少ない予定だった&なぜか代々Word書式で提出していたため)

 

 

さっき、仕事で久々にこの機能を使う羽目になった。

当初は全くそんな予定は無かったのだが、解説文を入れるところでどうしても必要となり。たった一つの数式のためにLaTeX用の環境を準備するのも面倒だ。仕方ないなあ。まあちょっとだけだしいいかあ。

 

斜体になる

(X Y Z)

重  た    い 

 

なんで20時過ぎの会社でこんなことに苛立たせられなければならないのか……。

あの卒論時期の「無我の境地」を必死に思い出そうとしつつ、一つ一つ文字を打ち込んでいったのだった。とほほ。

 

 

……あ、ここの変数間違えてる。

 

斜体になる
(X Y Z)
重   た    い

ある夏の後悔と

今日、スーパーに行った。いつぶりだろうか。

とは言っても別に「日常的にスーパーに行かなくても執事とメイドが全てを用意してくれるスペシャルセレブだから」という訳ではない。単に一人暮らしの怠慢ゆえだ。

 

適当に日用品を物色していると、男の子が横を走っていく。なんだなんだ、と思っていたら、その先には彼の母親がいた。

男の子の手にはアンパンマンのお菓子が握られていて、ああ、おねだりか、と母親にたしなめられる様子を見ながら微笑ましく思った。

 

こういう光景を見ると、思い出す記憶がある。

昔、グアムに連れていってもらったときのことだ。

 

……もう一度言うが、セレブではない。

自分が小学生になったくらいの頃だ。まだお子ちゃま料金で済んでいたのだろう。

 

肝心の記憶だが、別に大した話でもなく。

どこかのおもちゃ屋だった。確かオレンジ色のレゴブロックの車を見つけて、買ってもらうか迷っていたのに、親から「何か欲しい物ある?」と聞かれて、なぜか首を横に振った。

そのまま店を出て車に乗った後、猛烈に後悔した、と、ただそれだけだ。

 

 

首を振った理由は正直覚えていなくて、たぶん急いでいたとかでもないはずだし、単に遠慮がちな子だったからだと思う。自分からこれが欲しい、というのが少し苦手な子供だった。

それより、こんな些細なことを未だに、それも割とはっきり覚えていることの方が興味深い。

 

小学3年生くらいまではレゴブロックが好きだったような記憶がある。だけど、別にそのレゴが無いからと言って、その後のレゴライフに影を落とした訳でもない。むしろ普段はグアムでの一件なんて全く思い出すこともなかった。

 

というより、グアム旅行の記憶がほとんど残っていない。

実はその一年前、ハワイに行っていて、記憶がめちゃくちゃ混同しているのだ。

 

 

……セレブではない!!

ハワイは祖母もいたから出資が別口だったんだ、たぶん!!(いや本当に中流家庭です……)

 

 

何はともあれ、それでもレゴのことを鮮明に覚えているのは、

やはり「これは二度と手に入らないものなんだ」と強く思ったからだろう。

はっきりと覚えているのだ、親の運転する車の後部座席で、店の方を振り返りながら、そう思ったことを。

幼いながらに、海外というものをちゃんと認識していたらしい。日本からの距離感や、この場にいる時間の貴重さを。

 

 

グアム以降、大学時代に韓国に旅行するまで、長らく日本を出ることはなかった。

旅行は好きだが、国内旅行で満足していたし、海外にそこまで興味が無かったからだ。

 

それがどういう因果か、この半年で3回も海外旅行へ行っている。

ところで、自分は旅になると基本的に無茶苦茶なスケジュールを立てる。

15km徒歩はザラ。酷い時には本来必要ない登山を決行してまで、目的の場所に行こうとする。先日は東南アジアの炎天下を30km/日歩いたりもした。旅行初日なのに。

 

ちなみに近々、また日本出国を企てている。貴重な休日を費やしてまで。貴重な一人暮らしの貯蓄を崩してまで。貴重な体力を消耗してまで。

体が元気なうちにとか、自由に時間を使えるうちにとか、周りの人にはそれっぽく理由を言っていた。まあそれも間違いではないけれど。

本当は、あの子供の頃に味わった後悔が、原風景として刻まれているからかもしれない。

 

二度と手に入らなくなる前に、今手に入れたい物を、自分の手で掴みに行くため。

どうしても見てみたい風景を求めて、また自分は日本を飛び出す。

20年後の自分に、後悔を残さないため。

知らない場所

暇になると、ごく稀に「国名いくつ言えるか」大会を1人で開催することがある。

 

例えば病院の待ち時間。例えば長距離バスの中。例えば学生時代の退屈な授業中。

 

初めてこのゲームを思いついたのは、今でも覚えている、中学3年生の春休みだ。

友人たちとテーマパークに行ったときのこと。確か当時完成直後だったからだろう、待ち時間が3時間というえげつないアトラクションに並んでしまった。

友人たちがダルそうにしたり、携帯を弄っている横で、自分は黙々と国名を数え始めた。

中学3年生の春休みということは、高校受験の直後。当時社会科は得意科目だったから、当然国名もそれなりに覚えていた。

 

このときの記録は、150カ国くらいだったと思う。

国連加盟国縛りだったから、約3/4。結構頑張ったな中学3年生。あと友達は大事にしろよ。

 

 

それから10年近く経ち、就職して、暇な研修を受けているときにふとこのゲームを思いだした。

中学時代の栄光を回顧しつつ、密かに指を折って数え始めた。

 

130前後でストップした。

これは、ちょっとした挑戦心を駆り立てた。

 

それから、研修で暇な時間ができる度に数え、思い出せなかった国は家に帰ってから調べ、また数え、調べ、を繰り返した。

中でもアフリカが鬼門だった。なんと50カ国以上もあるのだ。絶対おかしいと思う。普通に日本で生活していたら一生のうちで10カ国くらいしか聞かないと思う。普通に生活していない自分でも、当初は30も言えなかった。

残りの20くらいを中米の島辺りに分散させても、たぶんほとんどの日本人は気付か…失礼しました何でもないです。

 

 

そして3週間が経った頃。

ついに、全国連加盟国を暗記することに成功した。

 

これは自分の中で、ちょっとした自信となった。

頑張れば案外覚えられるんだな、と。

そして、世界に自分の知らない国は無い、という事実。

この事実に気がついたとき、痺れるような思いだった。世界に知らない場所なんてもはやないのだ。

ただ研修は、全く頭に入らなかったけれど。

 

 

この前、久しぶりにこのゲームをやってみた。

140までは普通に行けたけど、そこからが苦戦、結局155くらいが限界だった。

 

中学3年生に逆戻りだ。

それは、中学3年生のときと、同じだけ頭の容量が空いているということかもしれない。

 

中学3年生の春ーーあの頃の自分は、直後に進学した高校で、いくらでも新しい知識を吸収することができた。

さあ、今の自分は、これからどんな知識を頭にインプットしていこうか。

稼いだお金で世界のどこへでも行けるようになった、大人の自分は。

運命にくらくら

運命の出会いなんて、人生そうそうないけれど。

音楽の世界では、案外ままある、ような気がする。

 

初めて彼女の音楽に出会ったのは、大阪梅田のタワーレコード。確か3年前のちょうどこの時期だった。

そこの店に行くのは本当に久しぶりで、しかもそれ以降、当面の間梅田方面を訪れる予定は無かったから、偶然も偶然だ。

 

試聴コーナーにCDが置かれていた。期待の新星、というような触れ込みだったかと思う。

2曲目は「坂本龍一が絶賛した」とも、ポップには書かれていた記憶がある。

 

どれどれ、と坂本龍一を信じて、私はヘッドフォンを装着した。

CD選択、トラック選択、読み込みまでの待ち時間。

 

それらを経て流れてきたのは、透き通るようなピアノの前奏だった。

そして歌が始まった瞬間。私はこのCDを買うことを決断していた。

 

辻林美穂「CLARTE」

www.billboard-japan.com

 

坂本龍一が賛辞を送ったという、2曲目「あぶく」は、紛れもなく名曲だった。

弦楽器とピアノ主体の伴奏が作る世界は、まるで透き通る湖畔。その上を6/8系のリズムで散歩するボーカルの、声質の幻想感。そして、どこか恐ろしさすら感じる不思議な歌詞。

だがこの曲だけではない。ノリのいいロック、気の抜けたポップス、夏の名残りを歌った音楽。その多彩さに驚かされた。

春夏秋冬、何度も何度も再生して、聴く度に別の良さに気付く。そんな幸せな出会いに、感謝感謝である。

 

さて、せっかくなので、「あぶく」の試聴音源のリンクを貼っておく。

きっと、その世界観に新鮮味を覚えるはずだ。

https://www.soundcloud.com/tsvaci/712ncijnbh2x

 

 

と、こんなことを突然思い出したのは、さっき辻林美穂さんの新曲を聴いたからだ。

新曲と言っても昨年末に公開されていたそうで……散々大ファン面してすみません久しぶりに検索しましたすみません運命とか言ってすみません

 

その中で、「紡いでゆくこと」の歌詞に不覚にもぐっときたので、ご紹介させていただく。

こういう、何かの転機を描いた作品に弱いんだよねえ。最高なんだよね…………

きっと、彼女がこの曲を送った相手は、運命の出会いを果たした人だったのかな、なんて。

https://www.soundcloud.com/tsvaci/81qe2jz3xhf8

 

……まあ実は音楽的には、「夢のデリシャスカロリー帝国」の方がビビっときた訳だが()

あえて載せないので是非自分の耳でお聴きいただきたい。

一流

「あなたは既に一流のガーシュウィンだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」

このエピソードは、20世紀アメリカの生んだ偉大な作曲家・ガーシュウィンが、これまたフランス音楽の大家・ラヴェルに教えを請いにいった際のものとして有名だ。

その後、結局ガーシュウィンは彼に弟子入りすることはなく、「サマータイム」などの名曲を生み出し続けた。

 

一流が一流と出会うとき、そこには必ずストーリーが生まれる。

まだ人生に時間の余裕があった頃、NHKの「スイッチインタビュー 達人達」という番組が好きだった。

全く違う分野で生きる、性格も価値観も異なる2つの一流。しかし彼ら彼女らは共鳴する。まるで必然であるかのように毎回名言が生まれる。それが互いの魂をまた揺さぶる。

そこで私たちは気付く。一流は一流としか生きられないと。一流であることでしか、生きられないと。

 

話は変わって。

昨今、博士課程の学生が、お金の工面で苦労するニュースをよく耳にする。私の知人の博士課程の方たちも、それぞれに苦労して補助金を勝ち取っているようだ。

しかし例え当座のお金やポストを得たところで、次には非正規雇用の問題、さらに教授になったら多大な事務仕事、とどこまで行っても問題が山積している。

小学校の義務教育から連綿と続く、学術の道の最高峰がそれって……と、私はつい表情を曇らせてしまう。

 

 

私たち日本人は、一流たちの悲劇が大好きだ。

坂本龍馬西郷隆盛源義経、etc.

大久保利通好きな方なんて滅多にお目にかからないし、源頼朝に至っては肖像画まで別人だった。

 

しかし、一流を封殺するような国や制度が長続きした試しはない。

江戸幕府は案の定戊辰戦争に敗れ、鎌倉幕府は北条氏に乗っ取られた。明治政府は西南戦争の勝利で安定したのでは?とも言えるが、その後の自由民権運動の高まりを受けて、結局政治の路線を変更した。

 

今の状況が続くようだと……

もう何が言いたいかは伝わると思う。

 

せめて、二流のーーあるいは二流未満のーーラヴェルである我々は、一流を邪魔しないように、一流同士で生きられるような社会を維持してあげないといけない。

それが我々にとっても長期的な豊かさに繋がるということを、忘れないようにしておきたい。

課題曲2018ざっと聴き

日本の吹奏楽の一大イベントといえば、夏から始まる全日本吹奏楽コンクール

毎年、冬のうちに5曲の課題曲の音源が提示されるけれど、ようやく参考音源を聴くことが出来ました。

1〜2回聴いただけの雑感です。有益な情報はさほどないです。すいませんの

 

1. 古き森の戦記

タイトルからもっとRPG的キャッチーな曲かと思ったけれど、なかなか面白い。80年代の古い課題曲を思い起こす。

技巧的に特殊なものはなく、中学生でもギリギリ演奏できる難易度(音は高いけど…!)。ただ思っていたより艶が大事な音楽。音程的にも誤魔化しにくい部分が多数。そして何よりソロ・ソリ的音楽が多い。これやっぱり大人の方がいいなあ。勢い任せだとかえって印象に残らないかも。

それにしても……オーケストレーションが見事。あんまり近年聴かない系な気がする。

 

2.マーチ・ワンダフル・ヴォヤージュ

冒頭のリズム崩したところの意味、とは

よくありがちだけど、なんかメロディーが覚えにくい。とはいえ別に覚えやすいメロディーにしないといけない決まりでもないしまあいいか。

トリオは割とレンジが上に行っていて珍しい。その分聴いててやや疲れる…のをなんとかできるかが鍵?この曲全体的に音域・音色近い所に違う動きが固まってて意外と気を使いそう。

ところでなんかコチコチした音なのは演奏音源の問題?

 

3.吹奏楽のための「ワルツ」

作曲者名を見てもっとエグい感じの、無調のワルツかと(絶対人気出ねえ)

まさにオーソドックスなロマン派のワルツ。所々高昌帥氏らしさが滲み出ているのが良い。この人のサックスの溶かし方って甘い曲によく合うんだよねえ。

そしてアゴーギクたっぷりなのもある意味期待通り。こういう音楽をさらっと奏でられるのが本当の基礎力だよなあ(自分は無理)。

いやーこれは全国大会、それも一般社会人の演奏を聴きたい。オケアレはそこまで好きではないけれど、これの後にカヴァレリアとかオペレッタの音楽とかさらりとやったらカッコいい!

 

4.コンサートマーチ「虹色の未来へ」

作曲者名を見てポップスマーチかと(思い込みその2)

ウィンズスコアの音だあ…という感じ。ウィンズスコアの曲を東京佼成が吹いたらこんな音なのかなあと全然本筋じゃないことを考えていた

どんな曲になるか戦々恐々していたけれど、思ったより悪くない。ちょっとリード系の木管が響かせにくそうな気もするけれど、実際に音を出したらどうですかね。

「例年のマーチ」を求めるならこの曲でしょうかね。というか今年、無難に仕上げられるのはこの曲くらいでは。

 

5.エレシウスの祭儀

ああ課題曲5だあ(冒頭)

タイトルを見ずに再生を始めたので、打楽器の使い方を聴いて「祭り的な音楽なのかな?」と思ったら合ってた(謎アピール)

前半は自然の中の荘厳な儀礼、後半が神に捧げる舞踊という感じかな?バリトンサックスからの流れが最高of最高。ダンサブルですねえ。難しい系の課題曲でノリノリって久しぶりじゃないですかね?「夏」以来では?4+3+3の10拍子(5拍子?)なんて踊れって言ってるようなものですよ

 

一通り聴いて、気付けば課題曲5の2:50くらいに合わせている自分がいた。チェックのためにもう一度聴いて、気付けば課題曲5を選択している自分がいる。2:50くらいに合わせていr

ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ ダカダカダダッダーダ

祝祭は遠くに

「彼方の祝祭」という、吹奏楽のための曲がある。

(試聴)

https://www.amazon.co.jp/dp/B003Y1ZEEE/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_j2bLAbK1A7EVE

 

聴いた後しばらく経つと、どんな曲だったかはっきりと思い出せなくなっている。

ただ、凄いものを聴いた感触だけが残る。美しく、冷笑的で、砕けるガラス片のような煌めきで。

その遠鳴りを辿って、時々、無性に聴きたくなる。

 

分かりやすい曲ではない。冒頭こそ哀しげなメロディーが流れるものの、段々旋律の輪郭が不明瞭に、あるいは複数の旋律がぶつかり、気付けば次の場面へと移る。

作曲者の語る通り、どこかシニカルで、何かへの疲弊を歌った音楽。キャッチーさは、微塵もない。

 

かくいう自分も所詮はアマチュア、この曲の音楽的価値を正しくは理解出来ていないだろう。

ではなぜ、惹きつけられてしまうのか。

 

無機質なネット空間、24時間誰かが働き、誰かが発信し続ける世界。その先にある有機質な部分は掴み難くて、なのに延々と続く祝祭のような騒ぎだけが目の前を流れていく。

あるいはハイスピード化する世の中。あるいは電子制御下の戦争。あるいはそんな世界に取り残された、一つの生身の体。

 

そういうことをふと考える瞬間、この曲のタイトルを思い出す。

ああ、今、祝祭は彼方にあるのだ。

 

遠くに神輿が見える。絶対に手の届かない所で、かつがれ、運ばれていく。掛け声が聞こえる、歓声が聞こえる、カメラの音が聞こえる。

 

そういったものに触れてしまったとき、祝祭を皮肉に思い、祝祭を眺める自分を皮肉に思う。溜め息をつくか迷ってしまう。

そんなとき、この曲は、正しく溜め息をつくために、寄り添ってくれるのだ。

 

溜め息をついて、3日後には、またほとんど全て忘れてしまう。だけど、実はそれこそが正しい形なのかもしれない。

3日も経つと、あるときには、祝祭の中に自分も入ってしまうから。またあるときには、祝祭そのものを忘れてしまうから。

 

そして、いずれの場合にしても、だ。

ずっと、遥かな祝祭を見せ続けられることほど、辛いものはないから。