ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

基本的コロッ権

先ほど、スーパーへ買い物に行ったとき、お惣菜売り場でこんなものを見かけた。

 

きんぴらごぼう風コロッケ」

 

「きんぴらの味が恋しい人はきんぴらごぼうを買うのではないだろうか」

「コロッケを食べたい方はノーマルコロッケで何一つ問題ないのでは」

「そもそもこれはきんぴらごぼう派閥とコロッケニストどちらが対象なのか」

「からあげ」

 

など様々な感想が浮かんでは消えていったが、最後に残ったのは、

「コロッケがかわいそう」

というなんとも純粋な哀れみの感情だった。

 

 

「じゃがいもと一緒に衣に包んでしまえばコロッケ――」

それは、いつの頃か、資本主義社会が産んでしまった一種のエゴではないだろうか。

 

確かに、かぼちゃコロッケなどは美味しい。だからコロッケに可能性を感じることそのものは認める。

しかしその包容力に甘えて、我々は、コロッケに重責を担わせてしまっているのかもしれない。

きんぴらごぼうと混ぜられてしまったことで、彼らは泣いているかもしれない。コロッケとして生まれてきたはずなのに、あっという間に異形の姿に作り変えられ、さらには同じ棚に並ぶオーソドックスなコロッケを恨めしく見つめる、そんな日々を送るのである。

 

我々は、コロッケの尊厳について考えたことがあるだろうか。

コロッケにだって、基本的コロッ権はあるのだ。

 

それを踏みにじったとき、例えば今回のケースだと、きんぴらとコロッケの内部紛争という悲しい出来事だって起こりうる。その可能性が否定できないことは20世紀後半の世界の歴史を見るだけでも明らかだろう。同じ場所に住む異民族どうしは、抑圧の中で衝突してしまうのである。

あるいは、彼らの反乱すら起こるかもしれない。クーデター、暫定政府、特攻。彼らが身を挺してアツアツの中身を吹き出したとき、我々の肌などはひとたまりもない。

 

だから、そろそろやめにしないか。

本当にコロッケのことを考えるなら、かぼちゃ等の親和性のある同盟国とだけセットにさせてあげるべきだ。

それが、宗主としての我々人類の役目である。

 

 

――そして私は、今日も10%引きの唐揚げを手に取りレジに向かう。

 

休日の朝はハダカの準備

最近、週末になる度にインドネシアのバンドの曲を聴いている。

 

インドネシアの音楽」と聞いて、そもそもイメージが湧く人なんて、まずもってかなり、かなり少ないと思う。

少し音楽に詳しい方なら「ガムラン」という民俗音楽にピンとくるかと思う。自分は生では聴いたことが無いけれど、浜松の「楽器博物館」の展示で耳にしたことがある。南国的な打楽器に、アジア系の赤い色彩と、金属打楽器の不思議な音色が印象に残っている。

※楽器博物館公式サイト

浜松市楽器博物館

 

でも、自分が今聞いてるのはそういう音楽ではない。現代のポップな音楽だ。

Mondo Gascaro "Rajakelana"

www.youtube.com

 

どうだろうか。どこかシティーポップ風であり、ラテン音楽的であり、だけどどこかが決定的に違う。独特のリズム感と、ゆるやかに延々と続いていくフレーズ。

特に、一曲目の"Naked"が好きだ。これは個人の意見だが、どことなく「インドネシア版・北の国から」といった印象だ(柔らかなトランペット系の音が目立つから、というだけかもしれない)。

それはともかく、この曲を聴いていると無条件に南国の青空とビーチが脳裏に浮かぶ。揺れるヤシの葉の舌を、両手を広げてゆったりと散歩する情景が。

サンダルに砂が入り込む。波のゆるやかな往来の音が聞こえる。空に薄く白雲が流れている。日本じゃ目にしないような美しい色の鳥が飛んでいく。

耳が、心が、自分自身が、何かから開放されていく。南国の景色と一つになり、裸の自分は何者でもなくなっていく。

 

平日、日常にがんじがらめにされ、寒風に身を縮めている。休日が訪れた瞬間、せめてきゅうっとなった心だけでも解き放たれていいはずだ。

休日は、裸の自分を受け入れて、確認するためのものだと思う。ギターを弾くのが好き、友達と遊ぶのが好き、山に登るのが好き、ひたすら動画を観るのが好き、……人それぞれだと思う。それでいい。それがいい。

だから、そんな「自分の好き」を確認できないほど疲弊しているとき――異国情緒溢れるカクテルを飲んだり、旅番組をぼんやり眺めたり、インドネシアの音楽に耳を傾けたり。裸の自分を確認するためのゆるやかな導入をしてみる。平日に張り付いた余分な皮が一枚ずつぺり、ぺりと剥がれて、気付けば、「○○がしたい」という純粋な上澄みだけがすくい取れるようになる。

 

その後は、思い切り伸びでもして、朝ごはんでも始めよう。

大丈夫。ゆっくり始めても。ハダカの自分は逃げたりしないから。

 

 

(補足)

Mondo Gascaroさんについて、実は自分の大好きなバンド、Lamp 染谷太陽さんがTwitterでご紹介されていたのが知ったきっかけだった。

Lampというバンドについても、いつか書いてみようかな、と思っている。字数がすごいことになりそうだけど。

ヒヤリハットの向こう側

今、こんなエッセイを読んでいる。

www.chikumashobo.co.jp

 

とても面白いのでまた読了後に改めて触れたいところだけど、とにかく唖然として爆笑。

 

そして、読んでいる途中にふと思い出した話。

本当になんで思い出したのかわからないけれど、0.1%以下の確率で遭遇しそうな些細な出来事が、この作者の体験談の数々と共鳴したのかもしれない。なんて。

 

 

社会人になりたての頃。何かの研修――恐らく安全についての教育――で、4人1組のグループワークがあった。

どういう内容だったかは全く覚えていないけれど、話の流れで「過去の事故った体験」を話すことになった。

……いや、安全教育ですらなく、ただのプレゼンについての教育だったような気もしてきたけれど、まあいいか。

 

そこで目の前にいた男が、まずこんな体験を語った。

「俺、自転車で崖から落ちたことがあるんですよ」

 

 

いや、ちょっと待った。

 

 

まず(峠越えが趣味でもない限り)自転車で崖の上にいる状況が極めて稀だし、落ちるほどの猛スピードで下ることもなかなか無い。そして見た目に後遺症のようなものは全く見受けられない。どういうことだ。

 

いわく、家の近くの高台になっているところがある。そこのカーブを曲がりきれずにガードレールに衝突。そのまま自転車ごと道の外へ投げ出された。

しかし、運の良いことに、木に引っかかったりして助かったそうだ。自転車は破損したものの、やれやれ、という感じで押して上まで登ってきたらしい。

 

 

そんな壮絶な経験を笑って話せる彼の人柄と、運の強さが非常に羨ましい。そして初っ端からそんな話はやめていただきたい後のハードルが上がる。

 

まあ他の2人もこのレベルの話は

「ああ、自分は自転車で車に引かれたことありますね」

 

 

おいおいおい

 

 

隣で何食わぬ顔して座っていた男も、そんな経験を持っていたとは……。

その先はありふれた事故談ではあったが、自転車事故者が2人も同じ場を共有しているとはなかなか珍しい。

それとも自分が知らないだけで、日本の若者の間では今自転車事故がブームなのだろうか?なにせ日本は広い。知らなくても仕方がない。

 

 

そんなブームに乗り遅れたのが自分と斜向かいの男だ。いやーみんな凄い、と笑っていたら、斜向かいの男がおもむろに口を開いた。

 

 

「僕、昔そういえば海岸で転んでモリを手に刺したことがあります」

 

 

…………モリ?

あの魚を捕る道具の?

 

 

「いや、なんで落ちてるの」

「知らないけど、、ゴミの多い海岸だったから」

 

 

ゴミが多いのかー、じゃあ仕方ないなー、

ってならないならないならない

 

 

彼が言うには、偶然転んで偶然手をつこうとした場所に偶然モリがあって、ということらしい。

何分の一の確率を、彼はその手に引き寄せてしまったのだろう。ブラックホールなのか、その手は確率論のブラックホールなのか。

そして幸いにも、手はそれほどの期間を要さず完治したそうだ。それもまたどんな豪運だ。

 

 

こんな話を聞かされた後の自分が何を語ったのかなんて、全く覚えているはずもない。

この席に居合わせてしまった事自体が、もはや語るべきインシデントだ。

 

 

 

生きていると色んな経験もするし、色んな経験も聞くんだなあ、と思った一コマ。

ハインリヒの法則でいえば、全員間違いなく確実に、ピラミッドの頂点「1」に当たる出来事だ。

いや、それとも後遺症なく助かってはいるのだから一応「29」なのか?ここまで来るとインフレすぎてもう自分にはわからない。ヒヤリハットの向こう側。

 

 

そう言えば、冒頭の本に出会ったのも、偶然だったことを追記しておく。

東京・池袋「梟書茶房」

www.doutor.co.jp

 

全ての本の表紙とタイトルが隠され、紹介文だけで選ぶ素敵なお店。

ぜひ、興味のある方は足を運んで、偶然と出会っていただきたい。それは非常に稀な、そして思いがけない良い出会いになるかもしれない。

 

 

……間違えても、道中でヒヤリハット的0.1%と遭遇しないよう祈っておきます。

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こんにちは、葉音と申します。

読みは「はのん」または「よういん」、ピアノ教本の「ハノン」と"yawing"という英単語から名付けました。

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