ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

楽曲レビュー:たなばた(酒井格) 〜7番目の夜、星に願って

 ここのところ、地震、大雨、洪水、大変なことになっている日本列島。

 先程も関東地方で大きめの地震がありましたね……。

 どうか一刻も早い平穏の日々を、と思わずにはいられません。

 

 

 そして今日は7/7、七夕。

 ……天気も悪い所が多く、星空は望むべくもない、という感じだとは思いますが。街のあちこちに飾っている短冊が少しむなしく見えてしまう。かなしい。

 (というか確か7/7って比較的雨が多い日なんですよね確か…。まあ旧暦の七夕は8月なので、という話なのでしょうが)

 

 だけど、気分だけでも感じたいもの。

 私は吹奏楽をやっていた身なのですが、毎年、7/7の夜に聴いている曲があります。

 

  The Seventh Night Of July [たなばた] 作曲:酒井格

www.youtube.com 

 (参考演奏はとりあえずプロのもので。普段は尚美の音源を聴いています)

 

 

 いや、もう吹奏楽やっている人間には紹介することもないくらいメジャーな楽曲ですね。(レビュー:完)

 

 

 かいつまんで紹介すると、

 酒井格さんは、日本を代表する吹奏楽作曲家。春の甲子園の入場行進曲(J-POPとか流れてますよね)は毎年この人がアレンジをしている、というくらいに凄いお方。

 本楽曲は、その彼が高校生のときに作った、文字通りの処女作。

 そのため所々に(オーケストレーションなど)不慣れさが滲んでいますが、それを物ともしない美しい旋律と劇的な展開が魅力的な楽曲です。

 

 詳しいことは、本人が非常に詳細に語ってくださっているので、そちらを参考に......と思ったらリンク切れしてる!?なんとまあ……

 (一応、楽曲まとめのページだけリンク……)

http://ismusic.road.jp/works/welcome.html#wind

 

 

 ところで、なんでこの楽曲がこんなに親しまれているんだろう?と改めて。

 実際、演奏効果は特段高いという訳ではありません。確かにキャッチーで聴き映えはしますが、やや響かせにくい所があるし、結構どのパートも体力が必要だし、ソロは簡単ではないのにミスると顰蹙だし……。

 まあ、今更という部分ではありますが、せっかくなのでまとめてみました。

 

 

1. どの楽器にも魅せ場がある

 

 オプション楽器(という言い方もアレですが…)を除いて、どのセクションにもソロorソリが存在している。

 これ、結構珍しいことなんですよね。まあ、20分超えの交響曲とかならどのパートにもソロがある曲は多いのですが、吹奏楽という世界で長い曲は割と希少な存在。

 特に「たなばた」と同じように学生人気が高い曲なんかだと、パート間格差があるのはままあること。

 私はクラリネット出身なのでそこまで感じたことはないのですが、某ライ○キーの人気曲のトロンボーン譜を見たときは「図形かな?」と思いました(7,8割ほど同じリズム打ち)。

 また、サックスやトランペットは花形なので、ソロを沢山経験できますが、ユーフォやチューバなどでは滅多に機会がない。また、金管が目立つ曲は木管が不遇、木管が目立つ曲は金管が暇、などもよく起こる現象。だから選曲で揉めて、揉めて、、、(遠い目)

 と、まあ、こういう曲があれば、みんな見せ場があってハッピーなのです。

 

 

2. 初心者でもギリギリなんとかなり、熟練者も楽しめる難易度

 

 吹奏楽は学校の部活動が主体の世界です(現状は)。

 そうなると、本当の初心者でも半年や1年でコンクールや演奏会に出なければならない。選曲する立場の人は頭を悩ませます。あまりに難しい曲だと初心者には無理だし、簡単すぎても小学生からやっている子にはタイクツだし……。

 確かに、前述の通り、体力が必要かつ部分的に難しい曲です。だけど、例えばクラリネット3rdなんかだと音域も比較的マシで、上級生にカバーしてもらいながらなんとかできるレベルです。

 その一方で、1.で書いた通りに見せ所が多く、それが特に音色・表現面という経験が物を言う部分なので、ある程度の熟練者でも楽しく演奏ができます。

 そういったバランスが取れている。おかげで、社会人団体=経験者の集まりでも「気軽に楽しめる曲」として親しまれているのです。

 ……それに、アルヴァマーを始め、あちこちの「遊び心」は経験者の方が分かりますしね(笑)

 

 

3. 伸びやかな歌心、挑戦的なコード

 

 そうはいっても、一番の魅力の一つは「キャッチーな旋律」でしょう。

 「キャッチーさ」って、なんでしょう。 

 基本的にメロディーは「歌系」「踊り系」に分けられると思うのですが、この曲は間違いなくほとんどが「歌系」。

 「歌系」の旋律のキモは「二度進行」と「飛ぶ所」のバランスだと(個人的に)思っています。

 この曲はそれが非常に良い。

 第1主題、最初の8小節を例に取ると、最初の「B♭→E♭」、3小節目の「B♭→G」しか「飛び」は無く、他は全部「二度進行」が主体です。

 しかも2箇所の「飛び」はいずれも2部音符=「エネルギーを貯めて飛べる」。一方で「二度進行」は8部音符が主体=「旋律の流れを作る」。

 この絶妙なバランスが、「あっ、キャッチーだ」「歌いやすい」という感覚を生み出しているのだと思います。

 

 一方、コードについて。

 基本的にはE♭。この時点で「フラット系の得意な吹奏楽器に合う」かつ「甘い音楽に合う」調性、という適役なのですが。

 あ、E♭の曲=甘いというのは、「ショパンの『ノクターン』」「エルガーの『ニムロッド』」などから分かるかと思います。あえてそういう例だけ挙げています。

 この曲の良いところ。例えば有名なサックスソロの最初のコード、いきなりMaj7から始まります。ジャズの常套句のようなコードなので、「おしゃれ〜」という感覚になること請け合いです。

 また、中間部〜再現部の部分転調の繰り返しは、彩りながらマンネリ打破と緊張感を作っていますし(なんとなく、カラフルな花火を思い浮かべます)。

 何より個人的なツボは、全音音階。

 吹奏楽オリジナルでは非常に珍しい。というか吹奏楽やっていて、オケ編曲以外ではNSBの「ジュ・トゥ・ヴ」(サティ作曲、宮川彬良編曲)でしか見た記憶がありません。

 ユーフォソロ直前の地味な部分ですが、いや個人の話になってすみませんが、自分はこの部分で全音音階の基本的な使い方を覚えました。ああそう使えば効果的なのか!!!と。

 ……気になった方はスコア見てください(投げやり)

 

 こういう作曲者の「挑戦」が、「新鮮」「鮮烈」となり、聴いた者の心を掴んでしまうのです。

 

 

4. そして、結局みんなストーリーを求めている。

 

 うだうだ書いてきましたが、これに尽きるんですよね、結局。

 

 高校生が書いた曲。

 きっと同級生や、気になる異性を想像しながら書かれた曲。

 「たなばた」という、皆が知っているロマンティックな題材。

 織姫と彦星、と称されるA.Sax & Euph.のソロ。

 木管の連符でさえ、流星群や天の川の煌めきのようだと語られる。

 

 これ以上無いほどに、物語に満ちている。だから演奏したくなる。

 みんなが楽しめて、みんなで楽しめる、願いを叶えてくれる音楽を。

 

 そして、それが広く共有され、また次の代へと繋がっていき、演奏され続ける。

 

 

 この入れ替わり立ち替わりが激しい吹奏楽という世界で、キャッチーで楽しいだけの曲では長く生き残ることはできません。

 それだけの理由を持っているのが、この「たなばた」なんだと思います。

 

 

 かくいう自分も、吹奏楽を始めてから十数年。

 そのときから毎年必ず、7/7に「たなばた」を聴いています。

 きっと、こんな風にあれこれ理屈を並べている自分も、この曲に物語を求めているのでしょう。

 

 

 素敵な出会いを。多くの祈りを。

 みんなの耳にも、夜空の物語を。

 7番目の夜、雲の向こうの夜空に向かって。

映画レビュー:「空飛ぶタイヤ」人の命、見えない敵

久しぶりの投稿は今日観た映画について。

 

空飛ぶタイヤ

http://soratobu-movie.jp/

 

池井戸潤さん原作、初の映画化。

といっただけで「まあ外さないだろう」という感じなんですが、ちょっと売り出し方が微妙で…(カッコいいポスターにゴテゴテと色々書いたりして…)、若干の不安はあるにはありました。

ですが、映画として非常に真摯な造り。作品の強度と役者の強度も相まって、見ごたえのある映像空間でした。

 

 

池井戸作品らしく、「勧善懲悪」「大逆転劇」が本作の大筋なんですが、正直に言えば「スカッとした!!!!!」みたいなのを求めに行くと結構苦しい作品だ……と思いました。

(まあそもそも、池井戸作品の密度を2時間に纏めた時点でしんどいのは当たり前なのですが、)

そのしんどさの理由の1つが、人命が関わっているという点。

本作は「タイヤ脱輪に巻き込まれた死亡事故の原因究明」という大筋なのですが、死亡事故という出来事に端を発しているため、ありがちな「大企業とのバトル」「銀行マンとのバトル」に一層の重みが増します。

今までも、映像作品で言えば例えば「下町ロケット」の「ガウディ計画編」で人命が奪われるという出来事がありました。しかしそれは100%敵サイド(この言い方が正しいかはともかく)の落ち度。

今回は、主人公サイドの赤松運送が「悪役」と疑われている。

それにより、「遺族とのバトル」という救いの無い状況が生まれてしまう。誤解だとわかっているからこそ、余計に精神的にキツい。特に四十九日の場面における、遺族の悲痛な叫びには胸を打たれました。

「家に帰っても家族がいない、そのことを自分の立場で考えたことがあるのか!!」

……こういう旨のセリフだったと思います。これにはハッとさせられました。

確かに、これだけ死亡事故や事件が巷に溢れていても、「身近な人間の命が奪われるという現実」を想像することは、非常に難しい。それが、加害側(かもしれない)という状況にあってさえ……。

もちろん、最終的に事件そのものや遺族とのわだかまりは解決へと進んでいくのですが、最後のシーンまで「人の命が奪われた」ということを意識させられる演出になっていて、本当に作り手の真摯さに拍手を贈りたい。

 

 

他に興味深かったのが、徹底して「見えない相手」と闘い続ける話だったこと。

そのテーマ自体は隠されているわけでもなく、主人公の妻が「子供の学校の裏サイト」と闘っていた場面でセリフ的に明示されるのですが。

フィクションでこういう話だと、最後は「社長v.s.社長のガチンコ頂上決戦」になりがち(※個人の意見)です。しかし主人公側(赤松運送)が会った、いや会話した敵側(ホープ自動車)の最高役職は「課長」止まり。しかも虚偽や隠蔽の当事者ですらない、という、振り返ってみれば驚きの構成。

もっと言えば、ホープ自動車側の主人公サイド(ディーン・フジオカ)ですらそうです。隠蔽工作をした品質保証部には度々アクセスしているものの、諸悪の根源である取締役とは、すれ違い際の一度しか対面していない。

「銀行」「遺族」「不満を持つ部下」「相手の販売部の課長」あるいは「自分の会社の部長や同僚」という目に見える相手は、事件の原因では無い。

「事故の本当の原因」「大企業の中枢」という目に見えない相手が、真相。

だからこそ、このストーリーはますます苦しい。

そうそう、日常でも、得てして「見えない敵」の方が精神的に苦しめてくるものなんだよ……と。

 

 

そう言えば、事故の原因、という部分で。

一応原因はセリフで明かされるのですが、当然専門用語が出てきます。池井戸原作のテレビドラマではしばしばテロップや図解が出てくる場面ですが、この映画にはそれが一切無かった。

これは一つの英断だったな、と思います。

ドラマより時間的制約が厳しいこと、また観客がみな没頭して世界観に入り込んでいることを思えば、作品の流れを乱さないためのこの選択は正しかった。ある程度理解してくれると観客を信頼している部分もあるのかな?映画ならではですね。

もちろん、具体的に分からなくても(かくいう自分もニュアンスしか分からなかった)、雰囲気が充分伝わるという作りにはなっており、とても丁寧です。

 

 

他にも「ものづくりの結果は人命と繋がってしまう」ということを意識したり(一応自分も理系技術者の端くれなので)、「会社を辞めるということ」「社長と社員との距離」について考えたり、様々なことが胸の中を去来しております。

 

 

いやー、面白いだろうとは思っていましたが、想像のさらに上でした。

働くということ、そして命について、真面目に思考するいいきっかけになりました。

ちょうど今後のキャリアパスについていろいろ考えている時期だったので、良いタイミングで見ることができたな、と思っています。

 

 

(P.S.)

長瀬とディーンのラストシーン、カッコ良すぎません??

からのサザンのED曲の流れがあまりにカッコ良すぎません???

それを体感できただけでも価値がありましたので是非。いやマジで

梅雨にはJazzなラヴェルを ―Tamir Hendelman "クープランの墓"―

梅雨入りのニュースが耳に入る時期となりました。

本州も、関東甲信までの範囲が今日から梅雨入り。今日は雨に降られましたね。

 

梅雨になると、毎年のように聴く音楽があります。

Tamir Hendelman 「クープランの墓(Le Tombeau de Couperin)」

www.youtube.com

 

アノトリオのJazzです。

どうでしょうか、この静謐さ、瑞々しさ。

雨降る外の世界を眺めながら、コーヒーでも一杯いただきたくなるかと思います。

 

 

これには原曲がありまして、元はモーリス・ラヴェルの作った楽曲です。

(一応補足すると、「ボレロ」の人です。……いるか?この補足)

クープランの墓」は6曲からなる組曲でして、この「前奏曲」は比較的有名ですね。

というか、私が一番好きなクラシック曲の一つかもしれません。

ああ何も語りたくない……ただあの世界に浸っていたい……()

原曲も透明感溢れる音世界が魅力的なのですが、このHendelman氏たちの演奏は、原曲の良さを活かしつつもJazzに上手く落とし込んでいるところがミソです。初めて聴いたとき、おーそう来たか!と感激した記憶があります。

というかラヴェルのコード感ってクールなJazzに近い部分ありますよね。旋法あるいはモードってやつでしょうか(不勉強)

 

 

原曲があるといいましたが、実はラヴェル自身の手で「ピアノ曲」「オーケストラ曲」の2種類作られているんですよね。

まあそれ自体は「道化師の朝の歌」「ラ・ヴァルス」のような例もあるので、特筆すべきことではないのですが、

この曲、やたらアレンジされているんですよね。

著名なのが「木管五重奏バージョン」。時々コンサートで耳にしますし、私の大学の吹奏楽サークルの部室にもありましたね。

オーボエパート棚にありましたが、勝手にパチってよくクラリネットの譜読みしてましたw

 

他にも

クラリネット6重奏バージョン」

吹奏楽バージョン」

なんと「太鼓の達人」にまであります(笑)

 

 

ですが、私が初めて聴いたのは、「サックス4重奏バージョン」。

(参考音源。(この音源を聴いた訳ではありません))

www.youtube.com

 

私が大学2年生のとき、サックスパートの方々が、幕間アンサンブルのために選んだ楽曲。最初、サックスのための曲?と勘違いしたほど、似合っていたんです。

そもそも、サックス自体が印象派の音楽に適した音色。またサックスアンサンブルは意外と古典の音にも合う。ラヴェルの、新古典主義の真骨頂というべきこの曲を演奏するには、まさにうってつけの編成だったのかもしれません。

 

当時、色々とサークルで忙しくしていた私は、よく部室でこの曲を練習しているのを聴いていました。全く知らなかった、覚えにくい16分の12拍子の旋律を口ずさめるほどに、聴いていました。

そして、演奏されたのが6月のサマーコンサート。

当日は忙しく、生で演奏を聴くことはできませんでしたが。

私の中に「梅雨=クープランの墓の前奏曲」というイメージが残されました。

 

 

近年は、サックス版や本家よりも、冒頭のJazz版を聴くことが多くなりましたが。

雨の日に聴ける音楽があるというのは、なんだかお得な気分です。

長い長い雨。じめじめした空気。

すっと、うるおいに溢れた音楽が横切るだけで、世界の見え方が変わる。

Hendelman氏の楽しそうな表情を観ているだけで、豊かな気持ちになれる(笑)

 

ぜひ、騙されたと思って、一度聴いてみてください。

梅雨にはJazzなラヴェルを。Tamir Hendelman、"クープランの墓"。

 

人生詰んだと思ったらとりあえず海を観に行けばいい

(※今回、特に個人の意見マシマシです)

 

はい、こんにちは。

 

さあ、いいからこんなブログ読まずに手近な海を観に行け!!

ただし崖の上はダメだぞ!!冗談でもやめてくれ!!私が悲しむから!!約束だ!!

 

 

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はい、こんにちは(2回目)

 

今回のテーマは、もうタイトルの通り意外の何物でもないのですが、海の話です。

そうです、人生ヤベエと思ったら海を観に行きましょう。

 

 

「海ってあれでしょ?沖縄とかハワイとかでのんびり…。そんな時間もお金もないよ…」

いえいえ、違うんです。そりゃ可能ならリゾートに行く方が効果は高いけれど。

別に海ならば、瀬戸内海でも日本海でも東京湾でもいい。騙されたと思って、最初はとりあえず行ってみてください。

それと、広い海が怖い人もいるそうなので、入り江とか港でも大丈夫です。

海が無い県に住んでいる?山奥なら私も分かりませんが……。大抵の場所なら、車かバスか電車を駆使すれば、実は1〜2時間で海まで行けますよ。私も実家は関西のそこそこ内陸ですが、実は1時間あれば海まで行けました。

 

…………でも、ほんっとうに、崖の上はやめてね?

泣くよ?辛すぎて泣くよ?崖の先端で泣くことなんか、もう誰にも経験させたくないんです……。

(参考、色々と閲覧注意)

http://yawing-hanon98.hatenablog.com/entry/2018/04/27/224352

 

ここでの目的は、あまり多くを求めないこと。

やることはただ一つ。何もせず時間を過ごすこと。

海を見ます。晴れていれば、水面のきらめきが見えてラッキーだけど。曇っていても、なんとなく揺らぎを眺めればいいんです。

波の音を聴きます。できれば最初はイヤホンやヘッドホンは外して。外の音に耳を解放してあげてください。その後、少し元気があれば、好きなBGMと共に歩くのも気持ちいいでしょう。

潮の香りを感じます。嫌いな人は…どうしよう。ただ、少しだけでも感じてください。それから…マスクでもつけましょうか。何にせよストレスの無い方向で、無理なく。

 

これで、五感のうち3つ。顔に風も感じているはずなので、都合4つ。

本当に人生辛いときは、気持ちが自分の内側に入りっぱなし、ということが多々あると思います。それを、ちょっとだけでも和らげる効果を狙って。

空気が悪くなければ、10回くらい深呼吸なんてのもいいでしょう。

手を広げて。あるいはのびのびして。

ゆったり、ゆっくり深呼吸。

これで体内にも海を取り込めました。

私の場合は、こういう行為が効果ありました。

 

 

 

他には例えば……「どんな海だとしても、そこが海である以上、どこの海とも必ず繋がっている」という事実を感じること。

そう、日本のここから、繋がっている。沖縄でも、ハワイでも、グアムでもセブ島でもプーケットでもニューカレドニアでも。

あるいは、香港でもアメリカでもエジプトでもイギリスでもブラジルでもオーストラリアでも。

今挙げた場所は全て、海を通してお隣さんなんです。

 

(上記以外でも)心動く場所はありますか?例えば小さい頃、観てみたいと思った景色はありますか?

大丈夫です、お隣さんなんですよ、案外。

 

私は心が壊れるまで、海外なんて、親に連れられてしか行ったことがありませんでした。

国内1人旅ですら大学院生になるまでやったことが無かったし、まして海外なんて、自発的に行くことすら考えたこともなく。だってコミュ症で英会話が大の苦手で……etc.

それが今や1人であちこち行くようになり(金はキツイけど……(苦笑))。

そう、意外と、そのうち行けちゃうんです。

もし「いつか行きたいなー」と思っているなら。海まで行けるあなたなら、そのうち行けちゃいます。

 

「なんだ……今自分のいる場所は狭いけれど、もっと広くゆったり捉えればいいんだね」となれば…………ラッキーです。

うん、別に強要はしませんよ!したくないというか。人間、感じ方なんて千差万別なんで。

あなたなりの捉え方を、尊重します。

「ふん、こんな呑気なブログ書くようなお気楽な奴がのうのうと生きてるんだから、俺ならもっとまともに生きられる!」と思いっっっきり見下して踏み台にしても結構です!(笑) 

 

 

そして、可能なら、一泊してみてはどうでしょう。

近場でも、日帰りではなく、ぜひ一泊。

やっぱり、一泊することで時間的余裕→気持ち的な余裕も生まれますし。滞在中、何回も海を観に行けるというメリットもあります。

そして良ければ、海が見える部屋とか、海が見える温泉とかなら、さらにベター!

朝起きたときor朝風呂のときに海が見えるっていうのは、想像以上に清々しくて良いものですよ。

 

 

ここからは、書きながら想定したケース。

 

・元々海の近くに住んでいるけれど辛い

 

あると思いますよ、充分あると思います。

例えば地元のマイルドヤンキー社会に嫌気がさして、とか。

ただ、本州の場合は、海の近くにいると言うことは、別の場所とかにも行きやすい可能性は高いと思います。

日本ではJRがかなりの海岸線沿いに通っていますし、そうでない所も、バスや高速道路で主要な港などへのアクセス経路が整っている……はず。とにかく少し場所を変えてみましょう。

離島の場合は……船や飛行機が絶対絡んでくるので、あまり無責任なことは言えない……。

でもどちらかと言うと、その場合今すぐにでも脱出して別の所に移住してほしいです……。

あとは上手い回答がある方に補足してほしい……うーん……。

 

 

・海は遠くないけど、行きたい海もない

 

うーん、なるほど。

そういう場合、例えば、何かに貢献という観点はどうでしょうか。

一泊の話になりますが、私がオススメするのは、「南三陸ホテル観洋」。

https://www.mkanyo.jp

 

地名からお判りの通り、先の震災で大打撃を受けた場所になります。ホテル自体も相当な被害を受けましたし、周辺を歩けば、今でも復興作業が進んでいる様子が見られます。

泊まること、買い物することなどがリアルな復興支援になりますので、あなたの滞在は無駄にはなりませんよ。

もし大丈夫ならば、館内に震災に関する展示もあったはずなので、少し感じてみてはいかがでしょうか……。

 

海の話をすると、このホテルから見える朝の海が本当に素晴らしい。

また、ロビーの近くでくつろぎながら海を眺めるのもよし。夜、波の音しか聞こえない部屋で静かにお酒を飲むのも一興。

気になるアクセスも、仙台駅からシャトルバスがあるので、想像より比較的行きやすいかと。

 

 

・休みが1日たりとも無い、取れない

・休みが少なすぎて休みの日に動けない

 

泣きそう

今すぐ脱出してください!!まず病院で診断書もらって!!頼むから!!

本当に、もう本当に、心を大事にしてくださいね。心があって、あなたがあるんですから……。

後のことは後でいいんです、どうかゆっくりHPとMPを回復して……。

 

 

 

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長い記事で疲れたと思うので、とりあえず一息ついてください。お疲れさまです。そしてありがとうございます。

 

今の環境がしんどいですか?

……しんどいですよね。お疲れさまです。

私もしんどいです。色々としんどいですが、このお休みは海を観にいっていました。

風を感じ、匂いを感じ、音を聴き、輝きを眺め、深呼吸。

おひとりさまでしたが、幸いにも色んな人と会話する機会もあって、なんとなく心を整理させていただきました。心配してくれた方もいて、ありがとうという気持ちでいっぱいです。

少なくとも、こんな記事が書けるくらいには回復できました。

 

 

そうそう、今は都合が合わなくても、あるいは興味が無くても。やっぱり、いつか、南国へ行ってみてください。

あなたの疲れや、モヤモヤや、孤独感を、南の海がきれいさっぱり溶かしてくれます。不思議なほどに、さらさらと。

そして、南国の記憶を、心に抱いてください。

あの場所くらい、緩やかでも生きられるんだな、って。

辛くなったら、また行けばいいんだな、って。

 

いつか行けますよ。お隣さんなんですから。

ああ、でも、気負わないで。そのうち、そのうち。まずは手近でいいんです。

海でゆったり、海とゆったり。

 

 

 

眺めていたもの、魅せられたもの

中学2年生のとき、私は一つの発見をしました。

2年生の数学では、よく角度の問題が出されます。その中の典型的な問題に、四角形の内角と外角に関わるものがありました。

通常は2回立式が必要な問題に、私は1回の立式で済む方法を偶然見つけました。

何回試しても、どの類題で試しても、ちゃんと正解が出る。

数学に何の興味も無かった頃のこと。単に、おお便利だ、と思っただけでした。

名前もない、最初は額縁にも入らなかった、その作品。

それが、私と数式との、初めての邂逅だったのかもしれません。

 

 

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数式が、好きだ。

 

そのことに気付いたのは、中学3年生のときでした。

 

2年生の終わり頃からやや数学の成績が落ち始めた私は、受験もあるし、と春休みから塾に通い始めました。その一年間が、人生最初で最後の塾通いでした。

中学3年生になると、数学が少し変わってきます。

2年生までは、「方程式の解き方」「関数という概念」のような基本的な部分に多くを費やしていました。数学の基本的な解き方の勉強、とも言えるでしょうか。

3年生になると、「公式」がいくつか出てきました。

二次方程式の解の公式」「中点連結定理」「三平方の定理」......。

また、塾で初めて教えてもらったものもいくつか。

「接弦定理」「トレミーの公式」「メネラウスの定理」「チェバの定理」......。

それらは通常、ツール、もしくはテクニックとしか扱われません。そして多くの受験生が嫌うものです。覚えるのめんどい、分母と分子どっちだっけ、etc.

私は、なぜか、猛烈に数式に惹かれてしまいました。

数式の、イコールで結ばれた美しさに。

 

習慣ができました。

例えば、新しい公式に出会った時。

いつも私は、今まで学んできた方法や公式とくっつけて、新しい公式を生み出せないか考えました。関数の問題で、図形の式を応用することができました。

また、今までに習ってきた概念に、新しく得た概念を応用したりもしました。

具体的には、「二次方程式の解の公式」を習った後、「連立方程式の解の公式」を自分で編み出すことに成功しました。

もっとも、使いづらくて検算以外で使うことは無かったのですが……。

 

何が、私をここまで動かしたのか。

同じ頃、私は英語の「書き換え問題(can = be able toなど)」にもハマっていて、こちらも問題を自作したりしていました。

また、社会では歴史が大好きだし、国語では小説が大好きでした。

 

全く別々のものが、イコールで結びつく、知的な面白さ。

式を展開していくというストーリーの楽しさ。

自分で新しい数式を構築していく、クリエイター的好奇心。

 

閉塞感のある日々を送っていた中学時代。

常に色々なことに怯えていた教室。運動が苦手なのに、下手の横好きで入っていた野球部。

音楽の楽しさに気付く前、ゲームしか趣味が無かった頃。

数式に、私の求めていた全てがありました。

 

いつの間にか、私の数学の成績は、他の教科に追いつきました。

そして、高校は理系の学科に入学しました。

 

 

高校の数学は、もっと面白い。

いくらでも公式が出てきました。特に数2の三角関数は、ページをめくれば新たな数式、というレベル。その日々は幸せいっぱいだったことを、今でも覚えています。

物理も面白かった。化学も時々数式が出るとセンサーが反応した。

数学、物理、化学、気になった数式があったら、「何か面白い結果が編み出せないだろうか?」と手を動かしました。ちょっと役立つ公式や、観賞用の不等式をいくつか生み出しました。

たまに友達に話すことはあったけれど、基本的には一人で。一人きりの数式との蜜月が、大好きでした。

数学も、物理も(、化学も)、学科では並〜やや上くらいを推移していました。どうしても、算数的素養――たとえば確率や空間図形といった部分の思考力想像力――が足りず、あと一歩先へ行けない。

それでも、その頃の私はすでに思っていたのです。

数学者か、物理学者になって、数式に触れ合う日々を過ごしたい。

 

 

大学は理学部に入りました。

数学方面か、物理方面か、まあ授業を受けていくうちに決めていこう、と思っていました。数学と物理の混じった分野もいいな、と夢を持ったりもしながら。

私は打ちのめされます。

数学に、頭が追いつかない。

線形代数。問題くらいは解けるのですが、ややこしい証明が出てくると、頭がこんがらがる。

微分積分。ε-δは…なんとか…分かったぞ、となっていたら、その先の定理が全く分からない。時々出てくる面白い積分になごむ日々。

物理に、あまり面白みを感じない。

力学も、電磁気学も、あまり面白みを感じられない(時々「おっ」と思うときはありましたが……)。解析力学的な定義とかどうでも良くない?境界条件ややこしすぎない?etc.

熱力学はとても面白く、色んな公式の式変形を楽しんでいましたが、その後統計力学の考え方でつまづいてしまい……。

 

ただ、一番ショックだったのは、周りの人間に対して、でしょうか。

彼らは「数学」そのものが好きでした。あるいは「物理」そのものが好きでした。

論理学のような定理の証明で盛り上がったり、素粒子の挙動を考えたり、熱力学の複数の定義について議論したり。

そんな人間ばかりで、私は「ついていけない」と感じました。

 

 

私は、思い違いをしていたんです。

私は、数学や物理が好きなわけではなかった。

「数式を見ているのが好き」なだけなんです。

 

それは、美術館でアートを見る楽しさでした。

それは、脳内で映画の筋書きを考える楽しさでした。

それは、自分の手で楽譜にメロディーを書いていく楽しさでした。

 

それは、「自分が美しいと思える数式だけを扱いたい」という、厳しく言えば趣味レベルの欲求でしかありませんでした。

 

 

大学院は実験系の研究室に入りました。

理論物理なんて到底ムリだと思ったことと、ちょうど面白そうな生物学との境界分野の研究室に出会えたことから。「数式を他の分野に応用する」というのも、私の目標の一つだったので。

研究室の学生は私一人。2年間は粛々&黙々とバイオな実験の日々でした。それはそれで面白かったのですが、さておき。

修士論文を書く段になって、「物理学専攻だし、物理的な話をもっと入れておきたいな」と教授から言われました。

そのとき、私の長らく眠っていたスイッチが入りました。

関連のある物性物理の本を読み漁り、これなら修士のうちにまとめられる、という物理的な話を見つけました。そしてなんとか、自力で展開した数式をねじ込みました。

展開したと言っても、大枠は所詮学部3年生程度の物理。でも久しぶりに、あの中高時代の楽しさを思い出しました。

それは、競争相手も語らう相手もいない、気楽さのおかげもありました。

 

 

就職して、数式に触れる機会は激減しました。

でも、極稀に自分で数式的な思考をしなければならないとき、血がたぎるのを感じていました。

もっと、もっと、数式に触れたい。

一度は諦めた夢。一度は趣味レベルでしかなかったと落胆した目標。

それが、仕事で疲れる日々を過ごすうちに、不思議なほどに鮮明になっていくのです。

 

今でも、まだ、魅せられてしまうのです。

 

 

今度、今よりもっと、仕事で数式を扱える可能性が出てきました。自分で、その道を掴み取りました。

残念ながら、昔のような「式をこねくり回して、新しい数式を創る」というような仕事では恐らくありません。できたとしても、だいぶ先でしょう。

でも、こう思うんです。

毎日の仕事の一つが、美術館のアートを眺めることだとしたら?

評論の言葉を考えることもなく、ただ、美しさを感じながら仕事ができるとしたら?

そしてそれが、社会の役に立ち、世界に広がっていくとしたら?

 

 

埃の被った額縁を、久々に引っ張り出して、眺めてみます。

今や、ほとんど何の役にも立たない作品たち。趣味以外の何物でもない、ガラクタのような成果たち。

その愛情や、憧憬が。積み重ねてきた経験が。

私が新しい数式と出会うための羽となり、新しい世界を創る鍵となったとしたら。

再び、数式に魅了され、数式と戯れる日々を、心待ちにして。

季節と共に生きる街

食堂のテレビから、和笛の音が聞こえた。

ぼうっと横目で映像を見て、一瞬で切り替わったけれど、どこかの祭礼だろうなと理解した。

 

5月、祭り。

ああ、もしかして葵祭だろうか。

 

……とっくに終わってるじゃねえか……と1分後に気付いたけれど。

 

 

学生時代、京都という街に住んでいました。

日本史が好きな私は、すぐに寺社参りにもはまり、また色んな祭りにも参加して。

中でも、祇園祭のバイトは、一生ものの思い出。

 

京都から離れて、数年。

就職で関東へ来てからは、すっかり京都とは疎遠に。

今だから、思うんです。

京都は、季節の中にある街なんだな、って。

 

 

今回は、せっかくなのでお祭りの話を中心に。

著名なお祭りは日本全国種々多様にあります。青森のねぶた祭り。徳島の阿波おどり。福岡の天神祭

だけど、京都には全国区で有名な祭りが3つもあります。

春の葵祭。夏の祇園祭。秋の時代祭

これほどの知名度の、それも街のかなりの範囲が対象となる祭りが、季節ごとに。かなり特異な例ではないでしょうか。

京都市内で暮らしていたら、交通規制の看板やテレビのニュースを見て「ああ、○祭りの時期か」と必ず意識させられます。

 

それ以外にも。

2月、吉田神社の節分祭。

7月、下鴨神社の御手洗祭。

8月、五山の送り火(祭……?)。

 

街のあちこちで、季節ごとに大きな祭りが行われています。毎年、変わることなく。

 

 

京都は、いつも季節の中にある。

 

初詣の混雑に圧倒され、凍結した道を自転車で行き、梅の香りに誘われ。

鴨川の桜を横目に歩き、葵祭の行列を眺め、路傍のあじさいに心が揺れて。

祭の喧騒に飲みこまれ、川床で風情を感じ、キンモクセイの花が香って。

色づき始めた銀杏を見上げ、紅葉の道を踏みしめ、白い大文字を見つめる。

 

京都では、歴史の中で人が季節とどう共存してきたか、強く意識させられます。

好むと、好まざるとに関わらず。

 

 

それは、この便利な現代社会ではデメリットにもなりえます。

盆地の気候では、夏の暑さも、冬の寒さも、容赦がない。

春や秋には花粉も飛ぶし、街が近いのに虫も割と見る。

自分も、今あの気候の中に戻って、何年も暮らせるかというと、少し自信がありません。

 

 

でも。

 

高層ビルに視界が埋め尽くされること。

工場の大型装置に囲まれること。

モニターの中と対話し続けること。

 

現実の季節の流れと、五感をくすぐる季節の流れ。

それらが解離してしまう方が、不幸せなことなのかもしれない。

嫌が応でも、季節のメカニズムを思い出すことの価値は、実は凄く大きいのかもしれません。思うよりも、ずっと。

 

 

もう、葵祭を忘れないように。季節の現在地に鈍感にならないように。

うん、時間ができたら、久しぶりに京都に行こうかな。

歩いて、歩いて、歩き回って。古都に吹く風と、草花の色と、寺社の空気を感じるうちに、自分を、この世界の季節の流れの一部に戻してみよう。

 

 

季節の中で、深呼吸。

 

 

 

Lampの新譜:「彼女の時計」…正当進化の名盤

先日の「リズと青い鳥」記事を上げた後、急激な勢いでPVが上がって「おおお」ってなった小市民系アカウントですどうも。

まあそれでも累積で3桁台ですが……流行りのコンテンツの力って凄いなあとまざまざと感じました。

同じように考察したい人がいっぱいいるんだな、そういう意味でも嬉しいですね。

 

 

今回は最近買ったCDの話です。

 

Lamp 「彼女の時計」

http://www.lampweb.jp/8th/

 

(未聴の方はYoutube配信曲(MV)もいくつかあるので、ぜひそちらを。一曲だけ抜粋)

「1998」

https://youtu.be/bl9Cb063TmI

 

 

前回のCDから4年ぶりなんですね……

私がファンになったのが3年ほど前だったので、初めてリアルタイムで新譜に触れられたことになります。

 

事前にネットのあちこちで「今回は名盤だぞ」という話を仕入れていて、いや毎回名盤ですやん、と内心ツッコミを入れつつ。

はい、間違いなく名盤です。

 

 

前作の「ゆめ」もかなり緩やかなバラード色強めではありましたが、「A都市の秋」というパンチ力あるナンバーもありました。

しかし今回はとにかく穏やか&美メロ路線。

アップテンポと言えそうなのが8曲中「誰も知らない」くらいですね。ここまで統一したアルバムというのも珍しい。

 

これ、ともすれば「同じような曲ばっかり」「気付いたら寝ていた」というリスクもあるんですが。恐らくリスナーを信頼してくれています。

ちゃんと聴きさえすれば、どれも異なる工夫がこらされていると気付くのは容易でしょう。

 

「夜会にて」。

まさかポップスで「ティンパニが素晴らしい」ということになるとは思いもしなかった。

曲の流れそのものはあのティンパニのおかげで曲全体に広がりが出るというか。シンフォニックな薫り付けがされるんですよね。

 

「ラブレター」は3拍子。

こちらはかなりミナス系の雰囲気ですね(詳しくないからイメージ)。いいリズム感。

 

「1998」いいですね!!

どこか懐かしい感じ。なぜかOriginal Loveとか思い出しました。違う気がする。

なんというか、90年代トレンディドラマの主題歌と言われても何も疑わない。歌詞も「レイディオ」とかですし。

シティーポップの真骨頂。しかし2番Aメロや大サビの前繋ぎなど、随所にLampらしさが光っています。

 

「スローモーション」は唯一のフラット系の音楽。個人的な感情としてはこれが一番好き。

まるでクラシックのロマン派の音楽みたいなコードだな、と思いました。すいません雰囲気で言ってます適当です。

カチカチ言っている、時計を模した音?もスローモーションの空間を作り出していて、いいなあ。

 

「夢の国」はマイナー調。

限定販売されていたLPレコード版だと、ここからB面。前半とかっちり切り替えていますね。

実はやや苦手な種類の曲調ではあるのですが、この曲はクセになる。

サビのメロディーラインの「GF♯G」のような半音の動きがニクい。素晴らしいですね。

 

「車窓」

イントロから驚かされた曲。まるで童話のようなシンセの音使い。全体も子守唄のような音ですね。

6拍子ですが、随所に2拍子系の分け方があるのが好き(変拍子好き)

 

「誰も知らない」

このアルバム唯一のアップテンポ。かつ、かなりトリッキーな曲です。

イントロはまたCメジャーかAマイナーかな?と思ったら、Aメジャーに移調。

そしてこの曲、特にBメロの展開が素晴らしい。拍子を崩す、コードも変える。その後のサビもLampのメロディーライン。

 

「Fantasy」

このアルバムで一番シンプルな音楽です。でもこの一曲だけで充分闘えるんだよなあ(何と)

しかしこのB面、Am,CとAm,Cと見せかけてA,A,と見事に近い調だけで構成されているんですよね。5回くらい通してようやく気付いた。

最後にさざ波の音を流して、余韻たっぷりに締めくくります。

 

 

どれが最高とは言えないくらい完成度が高い。

もちろん今までのオシャレで儚げな世界観をベースにしつつ、年齢とキャリアの積み重ねが、ますます深みを出していて、洗練された傑作です。

初めて聴いた後、正当進化、という言葉が真っ先に出てきました。

 

初めてアルバム丸々紹介とかやりましたが、ああ、語彙が足りない……。特にシンセサウンドのことやミナス系のことなど、バックグラウンドの知識不足を感じます。

あと歌詞のこともまだあまり追えていないですしね。まあ前の辻林さんの曲みたいな勢いでやってたら一週間かかりそうですが。

(参考)http://yawing-hanon98.hatenablog.com/entry/2018/05/03/171341

 

また何か気付いたら更新すると思います。

とりあえず、ライブの特典引換券が同封していたので(タワレコで買ったから新宿インストアライブの券も!)、なんとか予定空けたいなあ、という所存です。

 

(180605追記!)

そういえば、以前にLampの曲を元にして書いた小説がありましたので、宣伝!

すぐにこういう宣伝思いつかないのがアカンとこ!(笑)

estar.jp