ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

祇園祭を語れない京都の大学生はモグリ

 なんて挑戦的なタイトルをつけましたが別に誰かにケンカを売るつもりは毛頭ありません。あんまり深く気に留めないでね☆

 

 今日、なんとなーく逗子(神奈川県)を散歩していました。

 この時期の逗子=逗子海岸で海水浴が定番ですが、泳ぐ気も体を焼く気も全くない自分は、誰もいない展望台に行って海と江ノ島を眺めていました()

 まあそれはどうでもいいとして。ちょうどその途中でローカルな感じのお祭りにかち合いまして、ふと気がついたんです。

 7/15。今日って、祇園祭宵山の日やん。

 

 

 祇園祭

 ご存知の通り、京都三大祭の1つです(他は葵祭時代祭)。

 実は7月いっぱいに渡って行事が行われているのですが、一番有名というか普段耳目に入るのは7/15の宵山とその前後。

 四条通の付近という京都の一等地全てを覆う、大々的なお祭りの日です。

 

 三大祭の他と異なるのは、やはりその「場所」でしょう。

 確かに葵祭時代祭も大々的なのですが、どちらも中心部からやや北寄りがメインです。

 あのビル街の中心を山鉾が進んだり、広い道路沿いに出店が並んでいたり、なんて状況はちょっと普段とのギャップが大きすぎるんですよね。

 

 一応自分も京都の大学に4年間在籍していたので、毎年参加していました。

 友達と行ったり、当時の恋人と行ったり、遊びに来た家族と行ったり。

 

 今、京都にいて祇園祭を(特に宵山前後を)知らない大学生には、悪いことを言わないからこれだけはぜひ行ってほしい。

 

 全部が違った思い出なんですよね。

 友達と行ったときは、ビールを飲み明かしながら、偶然出会った友人カップルを冷やかしたり。

 恋人と行ったときは、行列をかき分けながら山鉾を見ました。はぐれないように、付き合いたてだったから確か初めて、手を繋いだり(きゃー)。

 家族と行ったときは……あんまり言うこと無いな

 山鉾の引き回しは凄かったです(逃げた)

 

 

 だけど、一番の思い出は、大学生協で申し込んだアルバイト。

 

 そう、祭礼行列の一員として、ぐるぐる回るアレの役です。

 当時働く意欲というものが欠如しまくっていた模範的自堕落大学生な私が、京都に来たらやりたいと思っていた唯一のバイトでした。

 

 まだうら若き1回生の頃。今からなんと10年ほど前。

 だけど、鮮明に覚えています。

 

 現場につくと、まず食事が支給されたこと。あー支給って書いてたしな、と思ったらお赤飯を渡されてMatsuriを感じたこと。

 そのあとブルーシートの上で衣装に着替えたこと。白装束に烏帽子の自分を思わず自撮りしたこと。

 4人で担ぐ小さい神輿のようなものを担当したこと。1人で参加したから若干不安だったけれど、他の3人が凄くいい人で楽しかったこと。1年生の子はなんと同じ大学同じ学部。4年生で同じ大学の先輩は「最後の思い出にね」と言っていたこと。違う大学の2年生の人がいいキャラだけど若干気まずそうだったこと。

 

 そして、京都の街のど真ん中を、自分たちだけが闊歩していること。

 

 オフィスビルの間、何車線もある広い道の中央を、ゆっくりと歩いていく。

 沿道には多くの見物客。指をさしたり、写真を撮ったり、こちらが注目されている。

 空には夜が広がり、目の前には非日常の行列が続いている。

 

 ああ、この自由な気持ちを、一生忘れたくないな、と。

 あのときほど、清々しい快感を覚えたことは、一度もありません。

 

 

 たった数回しか祭りを経験していない、よそ者の自分。歴史的なことも、細かい行事のことも、正直ほとんど分かっていないと思います。

 それでも、まだまだ語れることはいっぱいあります。特に宵山――あのいつまでも、どこまでも続きそうな、幻のような夜を。

 作家の森見登美彦さんが「宵山万華鏡」という素晴らしい作品を書かれていますが、まさにあの本のように、祇園祭の時期の京都は万華鏡じみた幻影の世界となるのです。

 しかも、どの人の心にも残るように、オーダーメイドの鮮烈な絵柄を浮かべて。

 

 

 大学を出てからは、すっかり行く機会も無くなってしまいました。

 それでもなお、7月と祇園祭という存在が、切り離されずに自分の中にあり続ける。

 しかも時間が経つにつれて、なぜか一層記憶が浮かび上がってくる、不思議な祭。

 ……それは、元が霞がかった姿をしているからかな、と思ったり。

 

 じゃあ、宵山という自由な夜を、今の自分が体験したらどう記憶に残るのか?

 そんな興味が湧いてきたので、(今年は無理としても)また是非訪れたいものです。

 また、何か語れるような記憶を得られるなら、嬉しいことです。