ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

眺めていたもの、魅せられたもの

中学2年生のとき、私は一つの発見をしました。

2年生の数学では、よく角度の問題が出されます。その中の典型的な問題に、四角形の内角と外角に関わるものがありました。

通常は2回立式が必要な問題に、私は1回の立式で済む方法を偶然見つけました。

何回試しても、どの類題で試しても、ちゃんと正解が出る。

数学に何の興味も無かった頃のこと。単に、おお便利だ、と思っただけでした。

名前もない、最初は額縁にも入らなかった、その作品。

それが、私と数式との、初めての邂逅だったのかもしれません。

 

 

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数式が、好きだ。

 

そのことに気付いたのは、中学3年生のときでした。

 

2年生の終わり頃からやや数学の成績が落ち始めた私は、受験もあるし、と春休みから塾に通い始めました。その一年間が、人生最初で最後の塾通いでした。

中学3年生になると、数学が少し変わってきます。

2年生までは、「方程式の解き方」「関数という概念」のような基本的な部分に多くを費やしていました。数学の基本的な解き方の勉強、とも言えるでしょうか。

3年生になると、「公式」がいくつか出てきました。

二次方程式の解の公式」「中点連結定理」「三平方の定理」......。

また、塾で初めて教えてもらったものもいくつか。

「接弦定理」「トレミーの公式」「メネラウスの定理」「チェバの定理」......。

それらは通常、ツール、もしくはテクニックとしか扱われません。そして多くの受験生が嫌うものです。覚えるのめんどい、分母と分子どっちだっけ、etc.

私は、なぜか、猛烈に数式に惹かれてしまいました。

数式の、イコールで結ばれた美しさに。

 

習慣ができました。

例えば、新しい公式に出会った時。

いつも私は、今まで学んできた方法や公式とくっつけて、新しい公式を生み出せないか考えました。関数の問題で、図形の式を応用することができました。

また、今までに習ってきた概念に、新しく得た概念を応用したりもしました。

具体的には、「二次方程式の解の公式」を習った後、「連立方程式の解の公式」を自分で編み出すことに成功しました。

もっとも、使いづらくて検算以外で使うことは無かったのですが……。

 

何が、私をここまで動かしたのか。

同じ頃、私は英語の「書き換え問題(can = be able toなど)」にもハマっていて、こちらも問題を自作したりしていました。

また、社会では歴史が大好きだし、国語では小説が大好きでした。

 

全く別々のものが、イコールで結びつく、知的な面白さ。

式を展開していくというストーリーの楽しさ。

自分で新しい数式を構築していく、クリエイター的好奇心。

 

閉塞感のある日々を送っていた中学時代。

常に色々なことに怯えていた教室。運動が苦手なのに、下手の横好きで入っていた野球部。

音楽の楽しさに気付く前、ゲームしか趣味が無かった頃。

数式に、私の求めていた全てがありました。

 

いつの間にか、私の数学の成績は、他の教科に追いつきました。

そして、高校は理系の学科に入学しました。

 

 

高校の数学は、もっと面白い。

いくらでも公式が出てきました。特に数2の三角関数は、ページをめくれば新たな数式、というレベル。その日々は幸せいっぱいだったことを、今でも覚えています。

物理も面白かった。化学も時々数式が出るとセンサーが反応した。

数学、物理、化学、気になった数式があったら、「何か面白い結果が編み出せないだろうか?」と手を動かしました。ちょっと役立つ公式や、観賞用の不等式をいくつか生み出しました。

たまに友達に話すことはあったけれど、基本的には一人で。一人きりの数式との蜜月が、大好きでした。

数学も、物理も(、化学も)、学科では並〜やや上くらいを推移していました。どうしても、算数的素養――たとえば確率や空間図形といった部分の思考力想像力――が足りず、あと一歩先へ行けない。

それでも、その頃の私はすでに思っていたのです。

数学者か、物理学者になって、数式に触れ合う日々を過ごしたい。

 

 

大学は理学部に入りました。

数学方面か、物理方面か、まあ授業を受けていくうちに決めていこう、と思っていました。数学と物理の混じった分野もいいな、と夢を持ったりもしながら。

私は打ちのめされます。

数学に、頭が追いつかない。

線形代数。問題くらいは解けるのですが、ややこしい証明が出てくると、頭がこんがらがる。

微分積分。ε-δは…なんとか…分かったぞ、となっていたら、その先の定理が全く分からない。時々出てくる面白い積分になごむ日々。

物理に、あまり面白みを感じない。

力学も、電磁気学も、あまり面白みを感じられない(時々「おっ」と思うときはありましたが……)。解析力学的な定義とかどうでも良くない?境界条件ややこしすぎない?etc.

熱力学はとても面白く、色んな公式の式変形を楽しんでいましたが、その後統計力学の考え方でつまづいてしまい……。

 

ただ、一番ショックだったのは、周りの人間に対して、でしょうか。

彼らは「数学」そのものが好きでした。あるいは「物理」そのものが好きでした。

論理学のような定理の証明で盛り上がったり、素粒子の挙動を考えたり、熱力学の複数の定義について議論したり。

そんな人間ばかりで、私は「ついていけない」と感じました。

 

 

私は、思い違いをしていたんです。

私は、数学や物理が好きなわけではなかった。

「数式を見ているのが好き」なだけなんです。

 

それは、美術館でアートを見る楽しさでした。

それは、脳内で映画の筋書きを考える楽しさでした。

それは、自分の手で楽譜にメロディーを書いていく楽しさでした。

 

それは、「自分が美しいと思える数式だけを扱いたい」という、厳しく言えば趣味レベルの欲求でしかありませんでした。

 

 

大学院は実験系の研究室に入りました。

理論物理なんて到底ムリだと思ったことと、ちょうど面白そうな生物学との境界分野の研究室に出会えたことから。「数式を他の分野に応用する」というのも、私の目標の一つだったので。

研究室の学生は私一人。2年間は粛々&黙々とバイオな実験の日々でした。それはそれで面白かったのですが、さておき。

修士論文を書く段になって、「物理学専攻だし、物理的な話をもっと入れておきたいな」と教授から言われました。

そのとき、私の長らく眠っていたスイッチが入りました。

関連のある物性物理の本を読み漁り、これなら修士のうちにまとめられる、という物理的な話を見つけました。そしてなんとか、自力で展開した数式をねじ込みました。

展開したと言っても、大枠は所詮学部3年生程度の物理。でも久しぶりに、あの中高時代の楽しさを思い出しました。

それは、競争相手も語らう相手もいない、気楽さのおかげもありました。

 

 

就職して、数式に触れる機会は激減しました。

でも、極稀に自分で数式的な思考をしなければならないとき、血がたぎるのを感じていました。

もっと、もっと、数式に触れたい。

一度は諦めた夢。一度は趣味レベルでしかなかったと落胆した目標。

それが、仕事で疲れる日々を過ごすうちに、不思議なほどに鮮明になっていくのです。

 

今でも、まだ、魅せられてしまうのです。

 

 

今度、今よりもっと、仕事で数式を扱える可能性が出てきました。自分で、その道を掴み取りました。

残念ながら、昔のような「式をこねくり回して、新しい数式を創る」というような仕事では恐らくありません。できたとしても、だいぶ先でしょう。

でも、こう思うんです。

毎日の仕事の一つが、美術館のアートを眺めることだとしたら?

評論の言葉を考えることもなく、ただ、美しさを感じながら仕事ができるとしたら?

そしてそれが、社会の役に立ち、世界に広がっていくとしたら?

 

 

埃の被った額縁を、久々に引っ張り出して、眺めてみます。

今や、ほとんど何の役にも立たない作品たち。趣味以外の何物でもない、ガラクタのような成果たち。

その愛情や、憧憬が。積み重ねてきた経験が。

私が新しい数式と出会うための羽となり、新しい世界を創る鍵となったとしたら。

再び、数式に魅了され、数式と戯れる日々を、心待ちにして。