という訳で、旅行から無事帰還しました。
前回、かなり勿体ぶって書いていましたが、行き先はパリ(と周辺)でした。
初ヨーロッパ。しかも1人。結構な緊張感は持っていました。
なぜなら、有名な通りパリは治安が良くない。
切符購入中に鞄が持っていかれていたとか、
タクシーに乗っていたら窓が石で割られて強盗されるとか、
凱旋門の上に追い剥ぎがいて、盗人の行方は誰も知らないエンドを迎えるとか。
そんな芥川的世界観が広がっている世紀末な街です(ウソです)(最後は)
でも事故も怪我も被害も目立ったトラブルもなく、無事に帰ってこられたのは良かったです。
というか、治安が悪いというか…いや良くない雰囲気はしょっちゅう感じましたが、なんでしょう。
カオスな街だな、と。
例えば。
シャルル=ド=ゴール空港からパリ北駅(パリの入り口となる駅)まで、線路沿いの壁の9割以上、壁という壁がラクガキされていました。これは本当に誇張ではなく。
ただ、最初は「ヒエッ」となっていましたが、段々もはやそういうアートに見えてくるくらい。
というか鉄道会社や国が消していないのは、消してもまた復活するからというのもあるでしょうが、一種「そういうものだよね〜」という認識があるのでは。
他にも、駅のホームで不良の兄ちゃんたちが音楽流してサックスを吹き出したり(改札の外とかじゃなくて、本当にホームで)。
大学の壁に、悪ガキたちが何か投げつけようとしていたり(前を通過すると「バイバーイ」と手を振ってくれた、根はいい子たち)。
良くも悪くも、と言えばあれてすが。この多様性こそが街の魅力の源泉なのでは、と感じました。
そんなキラキラ・オシャレな雰囲気があると思えば、そこに様々なヤンチャやボッタクリやハチャメチャが同居している。
どうしてもパリ=前者のイメージばかりが先行するのですが、後者があるからこそ、この街は生き続ける。
そもそも、19〜20世紀の印象派の勃興だって、貧しい芸術家たちの集まるカフェが重要だった訳で。
人々がそうした貧しい所にある文化に対し、時には白い目を向けるのかもしれないですが、個性と自由を尊重してきたからこそ、芸術の街は芸術的であり続ける。
芸術と個々の権利を理解する大人の街でありながら、若い力を遮らない。
それが、パリなのかな、と思いました。
そうそうこれこそが憧れていた街なんだよ、と。
滞在中は、割と天気が悪く、何度も雨に降られました。
だけど、傘の下から見る濡れた街の姿も、また美しい。
特に夜〜夜明けの、石造りの建物の照明と、車のライトとが織り成す美しさと言えば。
「こんな街で、傘を差して踊ってみたい」
いつか、思春期の頃、ひそかに憧れていたことをふと思い出しました。
イヤホンから、オシャレなジャズワルツを。
試しに少し、傘をくるりと。
控えめだけれど、ステップを踏んだり、ジャンプして回ったり。
誰かに見られたら変人に思われるかな、と考えつつ。
だけどこの街なら、こんな行為も溶け込めそうだと思って。
ノートルダム大聖堂の立派なファサードが、ルーブル美術館の豪華なモニュメントが、笑いながら見逃してくれる、そんな気がして。
夜明けが近付きつつある街で。
照明が消えつつある中で。
また、今日もカオスな街が始まるんだな。
ワクワクが止まらなかった、そんなパリの朝。
また、行きたいな。