今日、スーパーに行った。いつぶりだろうか。
とは言っても別に「日常的にスーパーに行かなくても執事とメイドが全てを用意してくれるスペシャルセレブだから」という訳ではない。単に一人暮らしの怠慢ゆえだ。
適当に日用品を物色していると、男の子が横を走っていく。なんだなんだ、と思っていたら、その先には彼の母親がいた。
男の子の手にはアンパンマンのお菓子が握られていて、ああ、おねだりか、と母親にたしなめられる様子を見ながら微笑ましく思った。
こういう光景を見ると、思い出す記憶がある。
昔、グアムに連れていってもらったときのことだ。
……もう一度言うが、セレブではない。
自分が小学生になったくらいの頃だ。まだお子ちゃま料金で済んでいたのだろう。
肝心の記憶だが、別に大した話でもなく。
どこかのおもちゃ屋だった。確かオレンジ色のレゴブロックの車を見つけて、買ってもらうか迷っていたのに、親から「何か欲しい物ある?」と聞かれて、なぜか首を横に振った。
そのまま店を出て車に乗った後、猛烈に後悔した、と、ただそれだけだ。
首を振った理由は正直覚えていなくて、たぶん急いでいたとかでもないはずだし、単に遠慮がちな子だったからだと思う。自分からこれが欲しい、というのが少し苦手な子供だった。
それより、こんな些細なことを未だに、それも割とはっきり覚えていることの方が興味深い。
小学3年生くらいまではレゴブロックが好きだったような記憶がある。だけど、別にそのレゴが無いからと言って、その後のレゴライフに影を落とした訳でもない。むしろ普段はグアムでの一件なんて全く思い出すこともなかった。
というより、グアム旅行の記憶がほとんど残っていない。
実はその一年前、ハワイに行っていて、記憶がめちゃくちゃ混同しているのだ。
……セレブではない!!
ハワイは祖母もいたから出資が別口だったんだ、たぶん!!(いや本当に中流家庭です……)
何はともあれ、それでもレゴのことを鮮明に覚えているのは、
やはり「これは二度と手に入らないものなんだ」と強く思ったからだろう。
はっきりと覚えているのだ、親の運転する車の後部座席で、店の方を振り返りながら、そう思ったことを。
幼いながらに、海外というものをちゃんと認識していたらしい。日本からの距離感や、この場にいる時間の貴重さを。
グアム以降、大学時代に韓国に旅行するまで、長らく日本を出ることはなかった。
旅行は好きだが、国内旅行で満足していたし、海外にそこまで興味が無かったからだ。
それがどういう因果か、この半年で3回も海外旅行へ行っている。
ところで、自分は旅になると基本的に無茶苦茶なスケジュールを立てる。
15km徒歩はザラ。酷い時には本来必要ない登山を決行してまで、目的の場所に行こうとする。先日は東南アジアの炎天下を30km/日歩いたりもした。旅行初日なのに。
ちなみに近々、また日本出国を企てている。貴重な休日を費やしてまで。貴重な一人暮らしの貯蓄を崩してまで。貴重な体力を消耗してまで。
体が元気なうちにとか、自由に時間を使えるうちにとか、周りの人にはそれっぽく理由を言っていた。まあそれも間違いではないけれど。
本当は、あの子供の頃に味わった後悔が、原風景として刻まれているからかもしれない。
二度と手に入らなくなる前に、今手に入れたい物を、自分の手で掴みに行くため。
どうしても見てみたい風景を求めて、また自分は日本を飛び出す。
20年後の自分に、後悔を残さないため。