ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

一流

「あなたは既に一流のガーシュウィンだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」

このエピソードは、20世紀アメリカの生んだ偉大な作曲家・ガーシュウィンが、これまたフランス音楽の大家・ラヴェルに教えを請いにいった際のものとして有名だ。

その後、結局ガーシュウィンは彼に弟子入りすることはなく、「サマータイム」などの名曲を生み出し続けた。

 

一流が一流と出会うとき、そこには必ずストーリーが生まれる。

まだ人生に時間の余裕があった頃、NHKの「スイッチインタビュー 達人達」という番組が好きだった。

全く違う分野で生きる、性格も価値観も異なる2つの一流。しかし彼ら彼女らは共鳴する。まるで必然であるかのように毎回名言が生まれる。それが互いの魂をまた揺さぶる。

そこで私たちは気付く。一流は一流としか生きられないと。一流であることでしか、生きられないと。

 

話は変わって。

昨今、博士課程の学生が、お金の工面で苦労するニュースをよく耳にする。私の知人の博士課程の方たちも、それぞれに苦労して補助金を勝ち取っているようだ。

しかし例え当座のお金やポストを得たところで、次には非正規雇用の問題、さらに教授になったら多大な事務仕事、とどこまで行っても問題が山積している。

小学校の義務教育から連綿と続く、学術の道の最高峰がそれって……と、私はつい表情を曇らせてしまう。

 

 

私たち日本人は、一流たちの悲劇が大好きだ。

坂本龍馬西郷隆盛源義経、etc.

大久保利通好きな方なんて滅多にお目にかからないし、源頼朝に至っては肖像画まで別人だった。

 

しかし、一流を封殺するような国や制度が長続きした試しはない。

江戸幕府は案の定戊辰戦争に敗れ、鎌倉幕府は北条氏に乗っ取られた。明治政府は西南戦争の勝利で安定したのでは?とも言えるが、その後の自由民権運動の高まりを受けて、結局政治の路線を変更した。

 

今の状況が続くようだと……

もう何が言いたいかは伝わると思う。

 

せめて、二流のーーあるいは二流未満のーーラヴェルである我々は、一流を邪魔しないように、一流同士で生きられるような社会を維持してあげないといけない。

それが我々にとっても長期的な豊かさに繋がるということを、忘れないようにしておきたい。