最近、週末になる度にインドネシアのバンドの曲を聴いている。
「インドネシアの音楽」と聞いて、そもそもイメージが湧く人なんて、まずもってかなり、かなり少ないと思う。
少し音楽に詳しい方なら「ガムラン」という民俗音楽にピンとくるかと思う。自分は生では聴いたことが無いけれど、浜松の「楽器博物館」の展示で耳にしたことがある。南国的な打楽器に、アジア系の赤い色彩と、金属打楽器の不思議な音色が印象に残っている。
※楽器博物館公式サイト
でも、自分が今聞いてるのはそういう音楽ではない。現代のポップな音楽だ。
Mondo Gascaro "Rajakelana"
どうだろうか。どこかシティーポップ風であり、ラテン音楽的であり、だけどどこかが決定的に違う。独特のリズム感と、ゆるやかに延々と続いていくフレーズ。
特に、一曲目の"Naked"が好きだ。これは個人の意見だが、どことなく「インドネシア版・北の国から」といった印象だ(柔らかなトランペット系の音が目立つから、というだけかもしれない)。
それはともかく、この曲を聴いていると無条件に南国の青空とビーチが脳裏に浮かぶ。揺れるヤシの葉の舌を、両手を広げてゆったりと散歩する情景が。
サンダルに砂が入り込む。波のゆるやかな往来の音が聞こえる。空に薄く白雲が流れている。日本じゃ目にしないような美しい色の鳥が飛んでいく。
耳が、心が、自分自身が、何かから開放されていく。南国の景色と一つになり、裸の自分は何者でもなくなっていく。
平日、日常にがんじがらめにされ、寒風に身を縮めている。休日が訪れた瞬間、せめてきゅうっとなった心だけでも解き放たれていいはずだ。
休日は、裸の自分を受け入れて、確認するためのものだと思う。ギターを弾くのが好き、友達と遊ぶのが好き、山に登るのが好き、ひたすら動画を観るのが好き、……人それぞれだと思う。それでいい。それがいい。
だから、そんな「自分の好き」を確認できないほど疲弊しているとき――異国情緒溢れるカクテルを飲んだり、旅番組をぼんやり眺めたり、インドネシアの音楽に耳を傾けたり。裸の自分を確認するためのゆるやかな導入をしてみる。平日に張り付いた余分な皮が一枚ずつぺり、ぺりと剥がれて、気付けば、「○○がしたい」という純粋な上澄みだけがすくい取れるようになる。
その後は、思い切り伸びでもして、朝ごはんでも始めよう。
大丈夫。ゆっくり始めても。ハダカの自分は逃げたりしないから。
(補足)
Mondo Gascaroさんについて、実は自分の大好きなバンド、Lampの 染谷太陽さんがTwitterでご紹介されていたのが知ったきっかけだった。
Lampというバンドについても、いつか書いてみようかな、と思っている。字数がすごいことになりそうだけど。