ジンジャー・エールの生姜率

勢いで始めてしまったブログ。旅行や小説や音楽を語るともっぱらの噂。

祇園祭を語れない京都の大学生はモグリ

 なんて挑戦的なタイトルをつけましたが別に誰かにケンカを売るつもりは毛頭ありません。あんまり深く気に留めないでね☆

 

 今日、なんとなーく逗子(神奈川県)を散歩していました。

 この時期の逗子=逗子海岸で海水浴が定番ですが、泳ぐ気も体を焼く気も全くない自分は、誰もいない展望台に行って海と江ノ島を眺めていました()

 まあそれはどうでもいいとして。ちょうどその途中でローカルな感じのお祭りにかち合いまして、ふと気がついたんです。

 7/15。今日って、祇園祭宵山の日やん。

 

 

 祇園祭

 ご存知の通り、京都三大祭の1つです(他は葵祭時代祭)。

 実は7月いっぱいに渡って行事が行われているのですが、一番有名というか普段耳目に入るのは7/15の宵山とその前後。

 四条通の付近という京都の一等地全てを覆う、大々的なお祭りの日です。

 

 三大祭の他と異なるのは、やはりその「場所」でしょう。

 確かに葵祭時代祭も大々的なのですが、どちらも中心部からやや北寄りがメインです。

 あのビル街の中心を山鉾が進んだり、広い道路沿いに出店が並んでいたり、なんて状況はちょっと普段とのギャップが大きすぎるんですよね。

 

 一応自分も京都の大学に4年間在籍していたので、毎年参加していました。

 友達と行ったり、当時の恋人と行ったり、遊びに来た家族と行ったり。

 

 今、京都にいて祇園祭を(特に宵山前後を)知らない大学生には、悪いことを言わないからこれだけはぜひ行ってほしい。

 

 全部が違った思い出なんですよね。

 友達と行ったときは、ビールを飲み明かしながら、偶然出会った友人カップルを冷やかしたり。

 恋人と行ったときは、行列をかき分けながら山鉾を見ました。はぐれないように、付き合いたてだったから確か初めて、手を繋いだり(きゃー)。

 家族と行ったときは……あんまり言うこと無いな

 山鉾の引き回しは凄かったです(逃げた)

 

 

 だけど、一番の思い出は、大学生協で申し込んだアルバイト。

 

 そう、祭礼行列の一員として、ぐるぐる回るアレの役です。

 当時働く意欲というものが欠如しまくっていた模範的自堕落大学生な私が、京都に来たらやりたいと思っていた唯一のバイトでした。

 

 まだうら若き1回生の頃。今からなんと10年ほど前。

 だけど、鮮明に覚えています。

 

 現場につくと、まず食事が支給されたこと。あー支給って書いてたしな、と思ったらお赤飯を渡されてMatsuriを感じたこと。

 そのあとブルーシートの上で衣装に着替えたこと。白装束に烏帽子の自分を思わず自撮りしたこと。

 4人で担ぐ小さい神輿のようなものを担当したこと。1人で参加したから若干不安だったけれど、他の3人が凄くいい人で楽しかったこと。1年生の子はなんと同じ大学同じ学部。4年生で同じ大学の先輩は「最後の思い出にね」と言っていたこと。違う大学の2年生の人がいいキャラだけど若干気まずそうだったこと。

 

 そして、京都の街のど真ん中を、自分たちだけが闊歩していること。

 

 オフィスビルの間、何車線もある広い道の中央を、ゆっくりと歩いていく。

 沿道には多くの見物客。指をさしたり、写真を撮ったり、こちらが注目されている。

 空には夜が広がり、目の前には非日常の行列が続いている。

 

 ああ、この自由な気持ちを、一生忘れたくないな、と。

 あのときほど、清々しい快感を覚えたことは、一度もありません。

 

 

 たった数回しか祭りを経験していない、よそ者の自分。歴史的なことも、細かい行事のことも、正直ほとんど分かっていないと思います。

 それでも、まだまだ語れることはいっぱいあります。特に宵山――あのいつまでも、どこまでも続きそうな、幻のような夜を。

 作家の森見登美彦さんが「宵山万華鏡」という素晴らしい作品を書かれていますが、まさにあの本のように、祇園祭の時期の京都は万華鏡じみた幻影の世界となるのです。

 しかも、どの人の心にも残るように、オーダーメイドの鮮烈な絵柄を浮かべて。

 

 

 大学を出てからは、すっかり行く機会も無くなってしまいました。

 それでもなお、7月と祇園祭という存在が、切り離されずに自分の中にあり続ける。

 しかも時間が経つにつれて、なぜか一層記憶が浮かび上がってくる、不思議な祭。

 ……それは、元が霞がかった姿をしているからかな、と思ったり。

 

 じゃあ、宵山という自由な夜を、今の自分が体験したらどう記憶に残るのか?

 そんな興味が湧いてきたので、(今年は無理としても)また是非訪れたいものです。

 また、何か語れるような記憶を得られるなら、嬉しいことです。

楽曲レビュー:たなばた(酒井格) 〜7番目の夜、星に願って

 ここのところ、地震、大雨、洪水、大変なことになっている日本列島。

 先程も関東地方で大きめの地震がありましたね……。

 どうか一刻も早い平穏の日々を、と思わずにはいられません。

 

 

 そして今日は7/7、七夕。

 ……天気も悪い所が多く、星空は望むべくもない、という感じだとは思いますが。街のあちこちに飾っている短冊が少しむなしく見えてしまう。かなしい。

 (というか確か7/7って比較的雨が多い日なんですよね確か…。まあ旧暦の七夕は8月なので、という話なのでしょうが)

 

 だけど、気分だけでも感じたいもの。

 私は吹奏楽をやっていた身なのですが、毎年、7/7の夜に聴いている曲があります。

 

  The Seventh Night Of July [たなばた] 作曲:酒井格

www.youtube.com 

 (参考演奏はとりあえずプロのもので。普段は尚美の音源を聴いています)

 

 

 いや、もう吹奏楽やっている人間には紹介することもないくらいメジャーな楽曲ですね。(レビュー:完)

 

 

 かいつまんで紹介すると、

 酒井格さんは、日本を代表する吹奏楽作曲家。春の甲子園の入場行進曲(J-POPとか流れてますよね)は毎年この人がアレンジをしている、というくらいに凄いお方。

 本楽曲は、その彼が高校生のときに作った、文字通りの処女作。

 そのため所々に(オーケストレーションなど)不慣れさが滲んでいますが、それを物ともしない美しい旋律と劇的な展開が魅力的な楽曲です。

 

 詳しいことは、本人が非常に詳細に語ってくださっているので、そちらを参考に......と思ったらリンク切れしてる!?なんとまあ……

 (一応、楽曲まとめのページだけリンク……)

http://ismusic.road.jp/works/welcome.html#wind

 

 

 ところで、なんでこの楽曲がこんなに親しまれているんだろう?と改めて。

 実際、演奏効果は特段高いという訳ではありません。確かにキャッチーで聴き映えはしますが、やや響かせにくい所があるし、結構どのパートも体力が必要だし、ソロは簡単ではないのにミスると顰蹙だし……。

 まあ、今更という部分ではありますが、せっかくなのでまとめてみました。

 

 

1. どの楽器にも魅せ場がある

 

 オプション楽器(という言い方もアレですが…)を除いて、どのセクションにもソロorソリが存在している。

 これ、結構珍しいことなんですよね。まあ、20分超えの交響曲とかならどのパートにもソロがある曲は多いのですが、吹奏楽という世界で長い曲は割と希少な存在。

 特に「たなばた」と同じように学生人気が高い曲なんかだと、パート間格差があるのはままあること。

 私はクラリネット出身なのでそこまで感じたことはないのですが、某ライ○キーの人気曲のトロンボーン譜を見たときは「図形かな?」と思いました(7,8割ほど同じリズム打ち)。

 また、サックスやトランペットは花形なので、ソロを沢山経験できますが、ユーフォやチューバなどでは滅多に機会がない。また、金管が目立つ曲は木管が不遇、木管が目立つ曲は金管が暇、などもよく起こる現象。だから選曲で揉めて、揉めて、、、(遠い目)

 と、まあ、こういう曲があれば、みんな見せ場があってハッピーなのです。

 

 

2. 初心者でもギリギリなんとかなり、熟練者も楽しめる難易度

 

 吹奏楽は学校の部活動が主体の世界です(現状は)。

 そうなると、本当の初心者でも半年や1年でコンクールや演奏会に出なければならない。選曲する立場の人は頭を悩ませます。あまりに難しい曲だと初心者には無理だし、簡単すぎても小学生からやっている子にはタイクツだし……。

 確かに、前述の通り、体力が必要かつ部分的に難しい曲です。だけど、例えばクラリネット3rdなんかだと音域も比較的マシで、上級生にカバーしてもらいながらなんとかできるレベルです。

 その一方で、1.で書いた通りに見せ所が多く、それが特に音色・表現面という経験が物を言う部分なので、ある程度の熟練者でも楽しく演奏ができます。

 そういったバランスが取れている。おかげで、社会人団体=経験者の集まりでも「気軽に楽しめる曲」として親しまれているのです。

 ……それに、アルヴァマーを始め、あちこちの「遊び心」は経験者の方が分かりますしね(笑)

 

 

3. 伸びやかな歌心、挑戦的なコード

 

 そうはいっても、一番の魅力の一つは「キャッチーな旋律」でしょう。

 「キャッチーさ」って、なんでしょう。 

 基本的にメロディーは「歌系」「踊り系」に分けられると思うのですが、この曲は間違いなくほとんどが「歌系」。

 「歌系」の旋律のキモは「二度進行」と「飛ぶ所」のバランスだと(個人的に)思っています。

 この曲はそれが非常に良い。

 第1主題、最初の8小節を例に取ると、最初の「B♭→E♭」、3小節目の「B♭→G」しか「飛び」は無く、他は全部「二度進行」が主体です。

 しかも2箇所の「飛び」はいずれも2部音符=「エネルギーを貯めて飛べる」。一方で「二度進行」は8部音符が主体=「旋律の流れを作る」。

 この絶妙なバランスが、「あっ、キャッチーだ」「歌いやすい」という感覚を生み出しているのだと思います。

 

 一方、コードについて。

 基本的にはE♭。この時点で「フラット系の得意な吹奏楽器に合う」かつ「甘い音楽に合う」調性、という適役なのですが。

 あ、E♭の曲=甘いというのは、「ショパンの『ノクターン』」「エルガーの『ニムロッド』」などから分かるかと思います。あえてそういう例だけ挙げています。

 この曲の良いところ。例えば有名なサックスソロの最初のコード、いきなりMaj7から始まります。ジャズの常套句のようなコードなので、「おしゃれ〜」という感覚になること請け合いです。

 また、中間部〜再現部の部分転調の繰り返しは、彩りながらマンネリ打破と緊張感を作っていますし(なんとなく、カラフルな花火を思い浮かべます)。

 何より個人的なツボは、全音音階。

 吹奏楽オリジナルでは非常に珍しい。というか吹奏楽やっていて、オケ編曲以外ではNSBの「ジュ・トゥ・ヴ」(サティ作曲、宮川彬良編曲)でしか見た記憶がありません。

 ユーフォソロ直前の地味な部分ですが、いや個人の話になってすみませんが、自分はこの部分で全音音階の基本的な使い方を覚えました。ああそう使えば効果的なのか!!!と。

 ……気になった方はスコア見てください(投げやり)

 

 こういう作曲者の「挑戦」が、「新鮮」「鮮烈」となり、聴いた者の心を掴んでしまうのです。

 

 

4. そして、結局みんなストーリーを求めている。

 

 うだうだ書いてきましたが、これに尽きるんですよね、結局。

 

 高校生が書いた曲。

 きっと同級生や、気になる異性を想像しながら書かれた曲。

 「たなばた」という、皆が知っているロマンティックな題材。

 織姫と彦星、と称されるA.Sax & Euph.のソロ。

 木管の連符でさえ、流星群や天の川の煌めきのようだと語られる。

 

 これ以上無いほどに、物語に満ちている。だから演奏したくなる。

 みんなが楽しめて、みんなで楽しめる、願いを叶えてくれる音楽を。

 

 そして、それが広く共有され、また次の代へと繋がっていき、演奏され続ける。

 

 

 この入れ替わり立ち替わりが激しい吹奏楽という世界で、キャッチーで楽しいだけの曲では長く生き残ることはできません。

 それだけの理由を持っているのが、この「たなばた」なんだと思います。

 

 

 かくいう自分も、吹奏楽を始めてから12年。

 12年連続で、7/7に「たなばた」を聴いています。

 きっと、こんな風にあれこれ理屈を並べている自分も、この曲に物語を求めているのでしょう。

 

 

 素敵な出会いを。多くの祈りを。

 みんなの耳にも、夜空の物語を。

 7番目の夜、雲の向こうの夜空に向かって。

映画レビュー:「空飛ぶタイヤ」人の命、見えない敵

久しぶりの投稿は今日観た映画について。

 

空飛ぶタイヤ

http://soratobu-movie.jp/

 

池井戸潤さん原作、初の映画化。

といっただけで「まあ外さないだろう」という感じなんですが、ちょっと売り出し方が微妙で…(カッコいいポスターにゴテゴテと色々書いたりして…)、若干の不安はあるにはありました。

ですが、映画として非常に真摯な造り。作品の強度と役者の強度も相まって、見ごたえのある映像空間でした。

 

 

池井戸作品らしく、「勧善懲悪」「大逆転劇」が本作の大筋なんですが、正直に言えば「スカッとした!!!!!」みたいなのを求めに行くと結構苦しい作品だ……と思いました。

(まあそもそも、池井戸作品の密度を2時間に纏めた時点でしんどいのは当たり前なのですが、)

そのしんどさの理由の1つが、人命が関わっているという点。

本作は「タイヤ脱輪に巻き込まれた死亡事故の原因究明」という大筋なのですが、死亡事故という出来事に端を発しているため、ありがちな「大企業とのバトル」「銀行マンとのバトル」に一層の重みが増します。

今までも、映像作品で言えば例えば「下町ロケット」の「ガウディ計画編」で人命が奪われるという出来事がありました。しかしそれは100%敵サイド(この言い方が正しいかはともかく)の落ち度。

今回は、主人公サイドの赤松運送が「悪役」と疑われている。

それにより、「遺族とのバトル」という救いの無い状況が生まれてしまう。誤解だとわかっているからこそ、余計に精神的にキツい。特に四十九日の場面における、遺族の悲痛な叫びには胸を打たれました。

「家に帰っても家族がいない、そのことを自分の立場で考えたことがあるのか!!」

……こういう旨のセリフだったと思います。これにはハッとさせられました。

確かに、これだけ死亡事故や事件が巷に溢れていても、「身近な人間の命が奪われるという現実」を想像することは、非常に難しい。それが、加害側(かもしれない)という状況にあってさえ……。

もちろん、最終的に事件そのものや遺族とのわだかまりは解決へと進んでいくのですが、最後のシーンまで「人の命が奪われた」ということを意識させられる演出になっていて、本当に作り手の真摯さに拍手を贈りたい。

 

 

他に興味深かったのが、徹底して「見えない相手」と闘い続ける話だったこと。

そのテーマ自体は隠されているわけでもなく、主人公の妻が「子供の学校の裏サイト」と闘っていた場面でセリフ的に明示されるのですが。

フィクションでこういう話だと、最後は「社長v.s.社長のガチンコ頂上決戦」になりがち(※個人の意見)です。しかし主人公側(赤松運送)が会った、いや会話した敵側(ホープ自動車)の最高役職は「課長」止まり。しかも虚偽や隠蔽の当事者ですらない、という、振り返ってみれば驚きの構成。

もっと言えば、ホープ自動車側の主人公サイド(ディーン・フジオカ)ですらそうです。隠蔽工作をした品質保証部には度々アクセスしているものの、諸悪の根源である取締役とは、すれ違い際の一度しか対面していない。

「銀行」「遺族」「不満を持つ部下」「相手の販売部の課長」あるいは「自分の会社の部長や同僚」という目に見える相手は、事件の原因では無い。

「事故の本当の原因」「大企業の中枢」という目に見えない相手が、真相。

だからこそ、このストーリーはますます苦しい。

そうそう、日常でも、得てして「見えない敵」の方が精神的に苦しめてくるものなんだよ……と。

 

 

そう言えば、事故の原因、という部分で。

一応原因はセリフで明かされるのですが、当然専門用語が出てきます。池井戸原作のテレビドラマではしばしばテロップや図解が出てくる場面ですが、この映画にはそれが一切無かった。

これは一つの英断だったな、と思います。

ドラマより時間的制約が厳しいこと、また観客がみな没頭して世界観に入り込んでいることを思えば、作品の流れを乱さないためのこの選択は正しかった。ある程度理解してくれると観客を信頼している部分もあるのかな?映画ならではですね。

もちろん、具体的に分からなくても(かくいう自分もニュアンスしか分からなかった)、雰囲気が充分伝わるという作りにはなっており、とても丁寧です。

 

 

他にも「ものづくりの結果は人命と繋がってしまう」ということを意識したり(一応自分も理系技術者の端くれなので)、「会社を辞めるということ」「社長と社員との距離」について考えたり、様々なことが胸の中を去来しております。

 

 

いやー、面白いだろうとは思っていましたが、想像のさらに上でした。

働くということ、そして命について、真面目に思考するいいきっかけになりました。

ちょうど今後のキャリアパスについていろいろ考えている時期だったので、良いタイミングで見ることができたな、と思っています。

 

 

(P.S.)

長瀬とディーンのラストシーン、カッコ良すぎません??

からのサザンのED曲の流れがあまりにカッコ良すぎません???

それを体感できただけでも価値がありましたので是非。いやマジで

渋谷がニガテ 渋谷系は好きなのに

私は、どうも渋谷と相性が悪い。

 

……いや、渋谷系のファンなのに?という感。

まあ今の渋谷に90年代渋谷系の香りはほとんどないって言いますし。……昔の渋谷、知らないけど。

 

 

昨日、渋谷に行ったんですよ。大好きなアーティスト・Lampさんが渋谷HMVトークショー&ミニライブをやると知って。

電車乗り乗り1時間。久々に渋谷へ上陸しましたが、地上に出るやいなや

「あーなんか無理」とシブヤ=ニガテ病を発症し、

直後、急ぎ足の女性にぶつかられ謝罪もなく通過され、より一層病は悪化しました。

 

トークショーもライブも良かったので救われたのですが、外に出ると20時過ぎ。

なんか食べて帰ろうかな?と思ったところで、ふとまたニガテ病が蝕む。

 

苦手な理由その1. 入れる飲食店が少ない

 

いやいや渋谷とか食べる所ばっかだしーww何言ってんのイナカもんプーーwwww

東京ボーイズ&ガールズが高笑いするところを勝手に想像して勝手にムカついているのですが、

気軽に入れる飲食店、と言い換えましょうか。

 

数年前、関東に来たばかりの頃。

NHKホールで単身N響を聴いた後、せっかくだから渋谷に戻って何か適当に食べて帰るか〜と歩いていたのですが、物の見事に飲み屋かオシャレなお店しかない。

いや別に飲む気分でもないし……そんなオシャレでお高い所で一人ディナーもイマイチだし……。

結局どこかの地下の中華料理店に入ったのですが、ガラガラだったのがなぜか凄く印象に残っています。

確かに、友人で集まったり恋人と過ごしたりするには、良い店がたくさんある気配がします。でも一人で、それもサクッと食べて帰りたいときに本当に困る。

新宿だったら割と色々ジャンルあるのになあ……

 

とはいえ、渋谷も探せばあると思うんですよ。チェーンのファミレスとか(めっちゃ混んでそうですけどね!)。

でも、それを邪魔するものが、

 

苦手な理由その2. 導線が意味不明

 

まず、地上のどこか目的の方角に出るだけでも相当困る。

地下はやけに長く、おまけに上へ下へと行かされていたずらに不安を煽る。

かといってなんとかどこかの地上に出ても、殺人的なほどの人口密度。

スクランブル交差点の上空写真はよく"ニホンジン=スゴイ"として紹介されますが、歩いてみると「アホちゃう??」としか思えません。ほんと東京人どうなってんだ

 

新宿は「ダンジョン」と呼ばれて久しいですが、意外となんとかなるんですよ。

というか、人が意外と分散している上、地上は比較的見通しやすい場所も多くて気分的に少しマシです。

それに地下も、道を間違えても飲食店街があったりして、まあ急いでなければ多少風景は楽しめます。

 

渋谷は人が集中しすぎて(+今は工事もあって)見通せない。

しかも渋谷は地下が殺風景すぎる。

いや、地下にも確かにちょいちょい店とかあるんですけど、基本的に地下神殿かというくらいモノトーンなんですよね……。しかもそれがやたら広大ときたもんだから、もう。

これらが重なった結果、適当にご飯、というのが非常に難しくなっている。どこに何があるのか、すっごく分かりにくい構造だと思うんですよね。

そうそう、この辺りに関連する話なんですが、

 

苦手な理由その3. 乗り換えで泣きそうになる

 

これは外せない。

 

 

関東に来た年の夏休み、「聖蹟桜ヶ丘」に行こうと思ったんですよ。

というのも映画「耳をすませば」のファンでして。関東に来たんだし、聖地巡礼は一度しておきたいな〜と前々から楽しみにしていました。

初めての場所です。当然乗換案内アプリでルートを調べるのですが、サジェストされたのがこちら。

東急東横線 渋谷→京王井の頭線 渋谷に乗り換え」

 

 

………………本当にこっちで合ってる?

………………え、地上?地上に出ていいの?

………………はい?まだエスカレーター乗るの?これで間違えてたら泣くよ? 

 

 

いや、本気で不安しかなかったです。まさか目的地に着く前に旅が始まっているとは。

たぶん東急の場所も悪いんでしょうが、あれを同一駅の乗り換えと言っていいのか……。調べたら「直線距離579.3m 上下28.2m」ってこっちのがよっぽどダンジョンだわ井の頭線ホームにボスでもいるのかよ

遠い乗り換えの代名詞・京葉線東京駅〜山手線東京駅の方が、ルートが分かりやすい分マシな気さえします。

 

 

それだけじゃなく。

これは就活中、東京に来たときのことだったと思うのですが。

渋谷から夜行バスのために池袋に戻ろうとして、「あーでも平日夜の山手線とか混みそうだな……」とうんざりしていたとき、気付いたんです。

「おっ、埼京線とかいうのがあるやん!こっちの方が空いてるかも!」

 

歩く。

歩く、歩く。

歩く、歩く、歩く。

歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、 

歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く 

 

 

着かねえええええええええええええええええええ

 

 

なぜ、埼京線ホームはあんなにも遠い。

こっちは面接とか終えてへとへとになっているのに、しかもこれから夜行バスに乗るのに無駄な体力を使わせないでほしい…………と朦朧としながら歩いた記憶があります。

しかも埼京線が普通に混んでいたというオチ。今から思えば、埼玉県民の帰宅用路線なので当たり前なんですがね。

 

だから極力渋谷で乗り換えないのですが、 時々必要なときに困るんですよねー……。

 

 

苦手な理由その4. というか若者文化から外れたお一人様はお呼びでない

 

正直言って、苦手な理由はこれに尽きる気がします()

 

渋谷と言えば、今も昔も「若者文化の発信地」。ですが。

別にファッションにそこまで興味なし、別にエネルギッシュなベンチャー企業の人と会いたいわけでもなし。そもそもギリギリ若者っぽい部分は音楽だけだがそれもジャンルが偏っている、ときたら、渋谷に来る意味はもはや皆無。

そう、つまり自分は渋谷に来る人間ではないのです!わあ結論出ちゃった!解散!

 

それでも、友人や恋人と来たらそれ相応に時間は過ごせると思うのですが、基本的には一人でぷらぷら街歩きが好きな人種なので。しかも、良い建物を観たり公園に行ったり広い場所でくつろいだりとかが好きなので、とことん合わないんですよねこの街と。

今、書きながら改めてうなずきました。うん、合わないんだなこの街

 

 

もちろん渋谷にもいいなと思う場所はあります。

Bunkamuraなんかはよく面白そうな企画をやってますし、 ロフトとかの辺りはぷらぷら歩いて楽しい店も色々あります。全部がニガテってほどではないんですが。

でも、行くならまだ新宿とか池袋とかの方が、まだ受け入れられている感があるんですよね。馴染めているとまではいかなくても、許容されている感。

 

 

ちょうど関東に来る数年前から、CapsuleとかCymbalsとか、渋谷系の流れをくむ音楽にハマっていました。やっぱり、渋谷は特別な場所という思いがあった。

でも、皮肉ですね、本当に渋谷だけはニガテ。

 

冒頭で、今の渋谷には〜という話を書きましたが、実は20年前の宇田川町でも自分は苦手意識を感じていたかもしれないな、と思います。

たぶん、合わないんです。渋谷。

自分は、渋谷という街を、CDからの音を通して眺めているのが好きだから。

生身の体験からワンクッション置いた渋谷を、これからも眺めるのだろうな。

 

 

 

あ、そうそう。今朝、風邪を発症しました。

シブヤ=ニガテ病、恐るべし……。

梅雨にはJazzなラヴェルを ―Tamir Hendelman "クープランの墓"―

梅雨入りのニュースが耳に入る時期となりました。

本州も、関東甲信までの範囲が今日から梅雨入り。今日は雨に降られましたね。

 

梅雨になると、毎年のように聴く音楽があります。

Tamir Hendelman 「クープランの墓(Le Tombeau de Couperin)」

www.youtube.com

 

アノトリオのJazzです。

どうでしょうか、この静謐さ、瑞々しさ。

雨降る外の世界を眺めながら、コーヒーでも一杯いただきたくなるかと思います。

 

 

これには原曲がありまして、元はモーリス・ラヴェルの作った楽曲です。

(一応補足すると、「ボレロ」の人です。……いるか?この補足)

クープランの墓」は6曲からなる組曲でして、この「前奏曲」は比較的有名ですね。

というか、私が一番好きなクラシック曲の一つかもしれません。

ああ何も語りたくない……ただあの世界に浸っていたい……()

原曲も透明感溢れる音世界が魅力的なのですが、このHendelman氏たちの演奏は、原曲の良さを活かしつつもJazzに上手く落とし込んでいるところがミソです。初めて聴いたとき、おーそう来たか!と感激した記憶があります。

というかラヴェルのコード感ってクールなJazzに近い部分ありますよね。旋法あるいはモードってやつでしょうか(不勉強)

 

 

原曲があるといいましたが、実はラヴェル自身の手で「ピアノ曲」「オーケストラ曲」の2種類作られているんですよね。

まあそれ自体は「道化師の朝の歌」「ラ・ヴァルス」のような例もあるので、特筆すべきことではないのですが、

この曲、やたらアレンジされているんですよね。

著名なのが「木管五重奏バージョン」。時々コンサートで耳にしますし、私の大学の吹奏楽サークルの部室にもありましたね。

オーボエパート棚にありましたが、勝手にパチってよくクラリネットの譜読みしてましたw

 

他にも

クラリネット6重奏バージョン」

吹奏楽バージョン」

なんと「太鼓の達人」にまであります(笑)

 

 

ですが、私が初めて聴いたのは、「サックス4重奏バージョン」。

(参考音源。(この音源を聴いた訳ではありません))

www.youtube.com

 

私が大学2年生のとき、サックスパートの方々が、幕間アンサンブルのために選んだ楽曲。最初、サックスのための曲?と勘違いしたほど、似合っていたんです。

そもそも、サックス自体が印象派の音楽に適した音色。またサックスアンサンブルは意外と古典の音にも合う。ラヴェルの、新古典主義の真骨頂というべきこの曲を演奏するには、まさにうってつけの編成だったのかもしれません。

 

当時、色々とサークルで忙しくしていた私は、よく部室でこの曲を練習しているのを聴いていました。全く知らなかった、覚えにくい16分の12拍子の旋律を口ずさめるほどに、聴いていました。

そして、演奏されたのが6月のサマーコンサート。

当日は忙しく、生で演奏を聴くことはできませんでしたが。

私の中に「梅雨=クープランの墓の前奏曲」というイメージが残されました。

 

 

近年は、サックス版や本家よりも、冒頭のJazz版を聴くことが多くなりましたが。

雨の日に聴ける音楽があるというのは、なんだかお得な気分です。

長い長い雨。じめじめした空気。

すっと、うるおいに溢れた音楽が横切るだけで、世界の見え方が変わる。

Hendelman氏の楽しそうな表情を観ているだけで、豊かな気持ちになれる(笑)

 

ぜひ、騙されたと思って、一度聴いてみてください。

梅雨にはJazzなラヴェルを。Tamir Hendelman、"クープランの墓"。

 

人生詰んだと思ったらとりあえず海を観に行けばいい

(※今回、特に個人の意見マシマシです)

 

はい、こんにちは。

 

さあ、いいからこんなブログ読まずに手近な海を観に行け!!

ただし崖の上はダメだぞ!!冗談でもやめてくれ!!私が悲しむから!!約束だ!!

 

 

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はい、こんにちは(2回目)

 

今回のテーマは、もうタイトルの通り意外の何物でもないのですが、海の話です。

そうです、人生ヤベエと思ったら海を観に行きましょう。

 

 

「海ってあれでしょ?沖縄とかハワイとかでのんびり…。そんな時間もお金もないよ…」

いえいえ、違うんです。そりゃ可能ならリゾートに行く方が効果は高いけれど。

別に海ならば、瀬戸内海でも日本海でも東京湾でもいい。騙されたと思って、最初はとりあえず行ってみてください。

それと、広い海が怖い人もいるそうなので、入り江とか港でも大丈夫です。

海が無い県に住んでいる?山奥なら私も分かりませんが……。大抵の場所なら、車かバスか電車を駆使すれば、実は1〜2時間で海まで行けますよ。私も実家は関西のそこそこ内陸ですが、実は1時間あれば海まで行けました。

 

…………でも、ほんっとうに、崖の上はやめてね?

泣くよ?辛すぎて泣くよ?崖の先端で泣くことなんか、もう誰にも経験させたくないんです……。

(参考、色々と閲覧注意)

http://yawing-hanon98.hatenablog.com/entry/2018/04/27/224352

 

ここでの目的は、あまり多くを求めないこと。

やることはただ一つ。何もせず時間を過ごすこと。

海を見ます。晴れていれば、水面のきらめきが見えてラッキーだけど。曇っていても、なんとなく揺らぎを眺めればいいんです。

波の音を聴きます。できれば最初はイヤホンやヘッドホンは外して。外の音に耳を解放してあげてください。その後、少し元気があれば、好きなBGMと共に歩くのも気持ちいいでしょう。

潮の香りを感じます。嫌いな人は…どうしよう。ただ、少しだけでも感じてください。それから…マスクでもつけましょうか。何にせよストレスの無い方向で、無理なく。

 

これで、五感のうち3つ。顔に風も感じているはずなので、都合4つ。

本当に人生辛いときは、気持ちが自分の内側に入りっぱなし、ということが多々あると思います。それを、ちょっとだけでも和らげる効果を狙って。

空気が悪くなければ、10回くらい深呼吸なんてのもいいでしょう。

手を広げて。あるいはのびのびして。

ゆったり、ゆっくり深呼吸。

これで体内にも海を取り込めました。

私の場合は、こういう行為が効果ありました。

 

 

 

他には例えば……「どんな海だとしても、そこが海である以上、どこの海とも必ず繋がっている」という事実を感じること。

そう、日本のここから、繋がっている。沖縄でも、ハワイでも、グアムでもセブ島でもプーケットでもニューカレドニアでも。

あるいは、香港でもアメリカでもエジプトでもイギリスでもブラジルでもオーストラリアでも。

今挙げた場所は全て、海を通してお隣さんなんです。

 

(上記以外でも)心動く場所はありますか?例えば小さい頃、観てみたいと思った景色はありますか?

大丈夫です、お隣さんなんですよ、案外。

 

私は心が壊れるまで、海外なんて、親に連れられてしか行ったことがありませんでした。

国内1人旅ですら大学院生になるまでやったことが無かったし、まして海外なんて、自発的に行くことすら考えたこともなく。だってコミュ症で英会話が大の苦手で……etc.

それが今や1人であちこち行くようになり(金はキツイけど……(苦笑))。

そう、意外と、そのうち行けちゃうんです。

もし「いつか行きたいなー」と思っているなら。海まで行けるあなたなら、そのうち行けちゃいます。

 

「なんだ……今自分のいる場所は狭いけれど、もっと広くゆったり捉えればいいんだね」となれば…………ラッキーです。

うん、別に強要はしませんよ!したくないというか。人間、感じ方なんて千差万別なんで。

あなたなりの捉え方を、尊重します。

「ふん、こんな呑気なブログ書くようなお気楽な奴がのうのうと生きてるんだから、俺ならもっとまともに生きられる!」と思いっっっきり見下して踏み台にしても結構です!(笑) 

 

 

そして、可能なら、一泊してみてはどうでしょう。

近場でも、日帰りではなく、ぜひ一泊。

やっぱり、一泊することで時間的余裕→気持ち的な余裕も生まれますし。滞在中、何回も海を観に行けるというメリットもあります。

そして良ければ、海が見える部屋とか、海が見える温泉とかなら、さらにベター!

朝起きたときor朝風呂のときに海が見えるっていうのは、想像以上に清々しくて良いものですよ。

 

 

ここからは、書きながら想定したケース。

 

・元々海の近くに住んでいるけれど辛い

 

あると思いますよ、充分あると思います。

例えば地元のマイルドヤンキー社会に嫌気がさして、とか。

ただ、本州の場合は、海の近くにいると言うことは、別の場所とかにも行きやすい可能性は高いと思います。

日本ではJRがかなりの海岸線沿いに通っていますし、そうでない所も、バスや高速道路で主要な港などへのアクセス経路が整っている……はず。とにかく少し場所を変えてみましょう。

離島の場合は……船や飛行機が絶対絡んでくるので、あまり無責任なことは言えない……。

でもどちらかと言うと、その場合今すぐにでも脱出して別の所に移住してほしいです……。

あとは上手い回答がある方に補足してほしい……うーん……。

 

 

・海は遠くないけど、行きたい海もない

 

うーん、なるほど。

そういう場合、例えば、何かに貢献という観点はどうでしょうか。

一泊の話になりますが、私がオススメするのは、「南三陸ホテル観洋」。

https://www.mkanyo.jp

 

地名からお判りの通り、先の震災で大打撃を受けた場所になります。ホテル自体も相当な被害を受けましたし、周辺を歩けば、今でも復興作業が進んでいる様子が見られます。

泊まること、買い物することなどがリアルな復興支援になりますので、あなたの滞在は無駄にはなりませんよ。

もし大丈夫ならば、館内に震災に関する展示もあったはずなので、少し感じてみてはいかがでしょうか……。

 

海の話をすると、このホテルから見える朝の海が本当に素晴らしい。

また、ロビーの近くでくつろぎながら海を眺めるのもよし。夜、波の音しか聞こえない部屋で静かにお酒を飲むのも一興。

気になるアクセスも、仙台駅からシャトルバスがあるので、想像より比較的行きやすいかと。

 

 

・休みが1日たりとも無い、取れない

・休みが少なすぎて休みの日に動けない

 

泣きそう

今すぐ脱出してください!!まず病院で診断書もらって!!頼むから!!

本当に、もう本当に、心を大事にしてくださいね。心があって、あなたがあるんですから……。

後のことは後でいいんです、どうかゆっくりHPとMPを回復して……。

 

 

 

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長い記事で疲れたと思うので、とりあえず一息ついてください。お疲れさまです。そしてありがとうございます。

 

今の環境がしんどいですか?

……しんどいですよね。お疲れさまです。

私もしんどいです。色々としんどいですが、このお休みは海を観にいっていました。

風を感じ、匂いを感じ、音を聴き、輝きを眺め、深呼吸。

おひとりさまでしたが、幸いにも色んな人と会話する機会もあって、なんとなく心を整理させていただきました。心配してくれた方もいて、ありがとうという気持ちでいっぱいです。

少なくとも、こんな記事が書けるくらいには回復できました。

 

 

そうそう、今は都合が合わなくても、あるいは興味が無くても。やっぱり、いつか、南国へ行ってみてください。

あなたの疲れや、モヤモヤや、孤独感を、南の海がきれいさっぱり溶かしてくれます。不思議なほどに、さらさらと。

そして、南国の記憶を、心に抱いてください。

あの場所くらい、緩やかでも生きられるんだな、って。

辛くなったら、また行けばいいんだな、って。

 

いつか行けますよ。お隣さんなんですから。

ああ、でも、気負わないで。そのうち、そのうち。まずは手近でいいんです。

海でゆったり、海とゆったり。

 

 

 

眺めていたもの、魅せられたもの

中学2年生のとき、私は一つの発見をしました。

2年生の数学では、よく角度の問題が出されます。その中の典型的な問題に、四角形の内角と外角に関わるものがありました。

通常は2回立式が必要な問題に、私は1回の立式で済む方法を偶然見つけました。

何回試しても、どの類題で試しても、ちゃんと正解が出る。

数学に何の興味も無かった頃のこと。単に、おお便利だ、と思っただけでした。

名前もない、最初は額縁にも入らなかった、その作品。

それが、私と数式との、初めての邂逅だったのかもしれません。

 

 

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数式が、好きだ。

 

そのことに気付いたのは、中学3年生のときでした。

 

2年生の終わり頃からやや数学の成績が落ち始めた私は、受験もあるし、と春休みから塾に通い始めました。その一年間が、人生最初で最後の塾通いでした。

中学3年生になると、数学が少し変わってきます。

2年生までは、「方程式の解き方」「関数という概念」のような基本的な部分に多くを費やしていました。数学の基本的な解き方の勉強、とも言えるでしょうか。

3年生になると、「公式」がいくつか出てきました。

二次方程式の解の公式」「中点連結定理」「三平方の定理」......。

また、塾で初めて教えてもらったものもいくつか。

「接弦定理」「トレミーの公式」「メネラウスの定理」「チェバの定理」......。

それらは通常、ツール、もしくはテクニックとしか扱われません。そして多くの受験生が嫌うものです。覚えるのめんどい、分母と分子どっちだっけ、etc.

私は、なぜか、猛烈に数式に惹かれてしまいました。

数式の、イコールで結ばれた美しさに。

 

習慣ができました。

例えば、新しい公式に出会った時。

いつも私は、今まで学んできた方法や公式とくっつけて、新しい公式を生み出せないか考えました。関数の問題で、図形の式を応用することができました。

また、今までに習ってきた概念に、新しく得た概念を応用したりもしました。

具体的には、「二次方程式の解の公式」を習った後、「連立方程式の解の公式」を自分で編み出すことに成功しました。

もっとも、使いづらくて検算以外で使うことは無かったのですが……。

 

何が、私をここまで動かしたのか。

同じ頃、私は英語の「書き換え問題(can = be able toなど)」にもハマっていて、こちらも問題を自作したりしていました。

また、社会では歴史が大好きだし、国語では小説が大好きでした。

 

全く別々のものが、イコールで結びつく、知的な面白さ。

式を展開していくというストーリーの楽しさ。

自分で新しい数式を構築していく、クリエイター的好奇心。

 

閉塞感のある日々を送っていた中学時代。

常に色々なことに怯えていた教室。運動が苦手なのに、下手の横好きで入っていた野球部。

音楽の楽しさに気付く前、ゲームしか趣味が無かった頃。

数式に、私の求めていた全てがありました。

 

いつの間にか、私の数学の成績は、他の教科に追いつきました。

そして、高校は理系の学科に入学しました。

 

 

高校の数学は、もっと面白い。

いくらでも公式が出てきました。特に数2の三角関数は、ページをめくれば新たな数式、というレベル。その日々は幸せいっぱいだったことを、今でも覚えています。

物理も面白かった。化学も時々数式が出るとセンサーが反応した。

数学、物理、化学、気になった数式があったら、「何か面白い結果が編み出せないだろうか?」と手を動かしました。ちょっと役立つ公式や、観賞用の不等式をいくつか生み出しました。

たまに友達に話すことはあったけれど、基本的には一人で。一人きりの数式との蜜月が、大好きでした。

数学も、物理も(、化学も)、学科では並〜やや上くらいを推移していました。どうしても、算数的素養――たとえば確率や空間図形といった部分の思考力想像力――が足りず、あと一歩先へ行けない。

それでも、その頃の私はすでに思っていたのです。

数学者か、物理学者になって、数式に触れ合う日々を過ごしたい。

 

 

大学は理学部に入りました。

数学方面か、物理方面か、まあ授業を受けていくうちに決めていこう、と思っていました。数学と物理の混じった分野もいいな、と夢を持ったりもしながら。

私は打ちのめされます。

数学に、頭が追いつかない。

線形代数。問題くらいは解けるのですが、ややこしい証明が出てくると、頭がこんがらがる。

微分積分。ε-δは…なんとか…分かったぞ、となっていたら、その先の定理が全く分からない。時々出てくる面白い積分になごむ日々。

物理に、あまり面白みを感じない。

力学も、電磁気学も、あまり面白みを感じられない(時々「おっ」と思うときはありましたが……)。解析力学的な定義とかどうでも良くない?境界条件ややこしすぎない?etc.

熱力学はとても面白く、色んな公式の式変形を楽しんでいましたが、その後統計力学の考え方でつまづいてしまい……。

 

ただ、一番ショックだったのは、周りの人間に対して、でしょうか。

彼らは「数学」そのものが好きでした。あるいは「物理」そのものが好きでした。

論理学のような定理の証明で盛り上がったり、素粒子の挙動を考えたり、熱力学の複数の定義について議論したり。

そんな人間ばかりで、私は「ついていけない」と感じました。

 

 

私は、思い違いをしていたんです。

私は、数学や物理が好きなわけではなかった。

「数式を見ているのが好き」なだけなんです。

 

それは、美術館でアートを見る楽しさでした。

それは、脳内で映画の筋書きを考える楽しさでした。

それは、自分の手で楽譜にメロディーを書いていく楽しさでした。

 

それは、「自分が美しいと思える数式だけを扱いたい」という、厳しく言えば趣味レベルの欲求でしかありませんでした。

 

 

大学院は実験系の研究室に入りました。

理論物理なんて到底ムリだと思ったことと、ちょうど面白そうな生物学との境界分野の研究室に出会えたことから。「数式を他の分野に応用する」というのも、私の目標の一つだったので。

研究室の学生は私一人。2年間は粛々&黙々とバイオな実験の日々でした。それはそれで面白かったのですが、さておき。

修士論文を書く段になって、「物理学専攻だし、物理的な話をもっと入れておきたいな」と教授から言われました。

そのとき、私の長らく眠っていたスイッチが入りました。

関連のある物性物理の本を読み漁り、これなら修士のうちにまとめられる、という物理的な話を見つけました。そしてなんとか、自力で展開した数式をねじ込みました。

展開したと言っても、大枠は所詮学部3年生程度の物理。でも久しぶりに、あの中高時代の楽しさを思い出しました。

それは、競争相手も語らう相手もいない、気楽さのおかげもありました。

 

 

就職して、数式に触れる機会は激減しました。

でも、極稀に自分で数式的な思考をしなければならないとき、血がたぎるのを感じていました。

もっと、もっと、数式に触れたい。

一度は諦めた夢。一度は趣味レベルでしかなかったと落胆した目標。

それが、仕事で疲れる日々を過ごすうちに、不思議なほどに鮮明になっていくのです。

 

今でも、まだ、魅せられてしまうのです。

 

 

今度、今よりもっと、仕事で数式を扱える可能性が出てきました。自分で、その道を掴み取りました。

残念ながら、昔のような「式をこねくり回して、新しい数式を創る」というような仕事では恐らくありません。できたとしても、だいぶ先でしょう。

でも、こう思うんです。

毎日の仕事の一つが、美術館のアートを眺めることだとしたら?

評論の言葉を考えることもなく、ただ、美しさを感じながら仕事ができるとしたら?

そしてそれが、社会の役に立ち、世界に広がっていくとしたら?

 

 

埃の被った額縁を、久々に引っ張り出して、眺めてみます。

今や、ほとんど何の役にも立たない作品たち。趣味以外の何物でもない、ガラクタのような成果たち。

その愛情や、憧憬が。積み重ねてきた経験が。

私が新しい数式と出会うための羽となり、新しい世界を創る鍵となったとしたら。

再び、数式に魅了され、数式と戯れる日々を、心待ちにして。